第八話 ひとときの安寧2
夜になり、隠れ里の民家に明かりが灯る。
里の者からもらったお礼の食材で料理を作り、丘の上でキャンプをする、 メイルとブロスとセムとヴァラッド。
ヴァラッドは茸が好きなので、焚き火の上に網を敷き、茸を焼いていた。 少年の両親が調味料を分けてくれたので、それを使って焼き茸に舌鼓を打っている。
「おれ、こんな大きい茸なんて、食べたのいつぶりかな。美味い」
「よかったな、もっと食べろよ」
ブロスも香り高い美味しそうな茸を焼いている。メイルとセムが獣肉と山菜と茸の包み焼き、山菜と茸のスープ、オーツ麦のお粥を皆に配膳する。
獣肉と山菜と茸は、各々の旨味が混じり合い、柔らかく火が通って、彩りの香辛料とよく合った。山菜と茸のスープも、さっぱりした旨味で、スプーンが進んだ。オーツ麦のお粥も、優しい味わいで、包み焼きとよく合った。
メイルは多人数での食事は初めてだったが、外での食事はとても美味しかった。
「美味しかったよ。ごちそうさま」
ヴァラッドが皆の食器を片付けながら、料理を作ってくれたメイルとセムに微笑んでいった。
「ご馳走様。メイルとセムは料理が上手だな」
ブロスも、片付けを手伝いながら、メイルとセムとねぎらう。メイルはそう言われて、ブロスや両親に料理を振る舞ったのは初めてだったため、嬉しく感じながら少し照れている。
「おお。家族でゆっくり過ごしているようだな。これからこの丘の上で、祭り──収穫祈願の儀式があるんだが、あなたたちも参加してはどうだい? ご馳走もあるし、この里の文化も、なかなかおもしろいと思うぞ!」
昼間出会った少年の父親が、石版がはめられた大きな灯籠を持って、四人に話しかけた。
「おれは、あなたたち用の灯籠な。石版はないが、炎を灯すと綺麗だぞ。こっちの石版は、我々の名前にあたる、生まれたときに巨像から受け取る石版を、個人からの祈願として、灯籠に飾るんだよ」
少年の父親は、祭りについて詳しく教えてくれた。
地の神を司るメリガスを信奉する地の神は、護竜の土地全体に、巨像の祝福(作物がたくさん収穫できる)があるように、個人が使役する巨像を召喚し、お供えをし、巨像を滝で清めて自由に遊ばせる祭だという。
ただ、巨像が遊んでいるところは見てはいけないらしいので、遊ばせている間は、里の者は丘で歓談し、ご馳走を食べる、というお祭りらしい。
「里のみなさんが、集まってきましたね」
メイルがそわそわとあたりを見回した。 メイルは今までジムダルと二人きりの生活だったので、人が多い環境にびっくりしている。 隠れ里の住人は、丘の中央にある大きな焚き火から各家族の持つ灯籠に火をもらい、家族で団らんをはじめた。
焚き火の近くでは美味しそうな鍋料理や大皿料理の準備が行われている。 メイルは「忙しそうですね。私も、なにかできることを手伝ってきます」といって席を立ち、セムもメイルと一緒にその場を離れた。セムが席を立つ際、ヴァラッドに「メイルは気の利くいい子ね」と嬉しそうに耳打ちして、ヴァラッドもセムの言葉を受けて微笑んでいた。
「自分の使役する巨像をな、街のはずれの神殿で、里のものが順番に召喚する。つかの間の自由を得た巨像が、水浴びをするための聖なる滝へ走っていくのを見るのが面白くてな。祭りの時間は巨像の足音とか巨像が喜ぶ騒音がすごいんだが、そういう祭りだからね。おもしろいぞ」
少年の父親は、ヴァラッドと仲良くなり、ヴァラッドから晩酌されながらそう話した。隠れ里の神殿のある方角から、ズシン、ズシン、という音が響き、岩がぶつかっているような激しい音も聞こえる。巨像が水浴びをしたり遊んでいるのだろうか。
「おっ。俺の家族の番だな。ちょっくら巨像を召喚してくるよ。おい※※※※、母さんもじいちゃんも、神殿にいくぞー!」
少年の父親は一家を連れて、神殿の方に向かった。 その間も、地響きや岩音がしている。里の住民は家族で灯籠とご馳走を囲みながら、楽しそうにしている。
「おれたちが使っているライドギアも、巨像のように、意志や感情があるんだろうか。ライダーの精神の一部みたいな感覚で居たが──」
ヴァラッドが、神殿の方を興味深げに眺めているブロスに話しかけた。
「そうだな。私は使役しているインフェルノがどんな性格で、どういう事が好きなのかも、いまいち把握できていないからな。この祭りは、使役するものへの優しさに溢れていると思う」
「インフェルノは、読書とか好きそうな雰囲気があるな。あと、昔のお前に似てるよ」 「そうか? ライドギアが読める本というと、かなり巨大な本なんだろうな」
ブロスとヴァラッドが笑った。 メイルとセムが、ご馳走を抱えて、四人が囲む灯籠の元へ戻ってくる。
「お手伝いしたら、お礼にと、たくさんご馳走をもらってしまいました。さっき皆でご飯をたべたばかりなのに、もうお腹が鳴っています。とってもおいしそうで……ふふ」
メイルが嬉しそうに、四人の前に置かれた木製の器に大皿のご馳走をよそう。 森で狩猟したという獣肉の香草焼きに、色とりどりの果物、柔らかそうな煮物や、具沢山の鍋料理など、里の郷土料理は、ほんとうに美味しそうだ。
四人は、戻ってきた少年の家族と談笑する。灯籠が照らす柔らかい薄闇のなか、里に伝わる歌や踊りを楽しみながら、メイルは里のご馳走に舌鼓を打った。
◇
「巨像達は楽しかったかなあ。今年も土地を豊かにしてくれますように」
少年は、祭りの終わりを名残惜しそうにしながら、灯籠の火を消した。 丘では、里の住民たちが家の中へ戻る後片付けをしている。巨像の召喚も解かれ、今では静かな夜だ。
「巨像が聖なる滝で遊んでいるところは、なぜ見てはいけないのですか?」
メイルが少年に尋ねる。
「ああ、そんな深刻なものじゃなくて、照れ屋らしいよ。巨像にも、威厳とかイメージ的なものがあるんじゃない? はしゃぎまくってるの見られるのは恥ずかしいんだって。俺は自分の巨像と一緒に遊びたいんだけどね。なんだろう、巨像がでかすぎて、集団で一緒に遊ぶと里の人が怪我するから、巨像が気を遣ってんのかな?」
少年が、好奇心で輝く眼を向け、メイルを見た。
「巨像は照れ屋さんなんですねえ。里の人たちの安全にも、気を遣ってくれるなんて、優しいですね」
メイルも興味深そうに、微笑んだ。
「うん。巨像は優しいんだよ。それじゃあ、おやすみ。家族でゆっくりしろよ、また明日な」
少年はそう言ってメイルに手を振ると、灯籠を持って家の方角へ歩いていった。 メイルは、また明日、という挨拶は素敵だなと思いながら、少年の後ろ姿を見送っていた。
メイルが両親とブロスのいる焚き火の前にもどると、話の最中だった。
「ところで、今後のことなんだが……私の代替部品の研究が終わるまで、ヴァラッドとセムも、夜都ダロネアの近隣に身を隠していたほうがいいと思うんだ。ヴァルバ正規軍の追手が来ないとも限らない」
メイルは楽しいお祭りから一転、現実を直面して沈んだ面持ちになった。 両親は、メイルをかばったばかりに反逆者とされているのだ。そして、人工太陽《ルインファルス》の部品になることを拒否したメイルも。メイルたちに安住の地はないのかもしれないと思うと、メイルの気持ちが不安と恐怖に揺らめいた。
「ブロス。そういう話も大事だが、俺とセムには時間がないんだ──だからせめて今の話を…メイルと話がしたい。俺は、メイルとジムダルの暮らしの話が聞きたいな。それからこれからメイルがどう生きたいのかも。希望は凍りついた明日を壊す力がある。メイルと会って団らんできる、今日の光景を過去に視たから、俺とセムが14年拷問に耐えられたみたいに」
ヴァラッドはメイルの不安そうな表情を見て、メイルに微笑んだ。ヴァラッドの言葉に、ブロスが果実酒を飲みながら応えた。
「それはお前の、未來と過去を見通す『デウスの眼』の能力で見たのか? 私は未來が怖いから必死にならざるをえない人間だ。未來を見るのは怖い」
「未來というのは一個じゃない。いくつも枝分かれしていて、気持ちの強い方に進む時がある。だから自分がこうしたいという希望は大事なのさ。運命を捻じ曲げる力があるからな」
ヴァラッドがそういってメイルの頭を撫でた。メイルは、ヴァラッドに促されるように、ジムダルとの花園で過ごした穏やかな時間のことを話した。
花や動物に囲まれて暮らしていたこと、花園の夕暮れ時はとてもきれいなこと、スノウメディウムの花が大好きでジムダルと眺めていたこと、ジムダルは無口だったけれど、いつもメイルに優しかったこと。
そんなジムダルがいなくなることが不安になってしまったこと、両親が必ず迎えに来るというジムダルの言葉を信じていたこと、誕生日に両親に会いに行こうとして家出をして、ジムダルが遠くまで迎えに来てくれて、ジムダルにおぶさって花園まで帰ったこと。
ドラゴ将軍がやってきて、その生活がなくなってしまったこと──。あまりおしゃべりではないメイルが、自分自身でも驚くほど饒舌に話していた。きっと両親に話を聞いてほしいという願いが心にあったのだろう。
「メイルはジムダルと一緒に、穏やかな時間を過ごしていたんだな。安心したよ。しかしジムダルが……親父が、隠者の花園でも、花を育ててたとは。親父は故郷の統都ラガシュでも花を育てるのが好きだったんだが、よっぽどメイルを喜ばせたかったんだろうな。綺麗で、穏やかなものをメイルに見せながら、成長してほしかったんだと思う。できれば、その生活が、ずっと続いてほしかったが……」
ヴァラッドが申し訳なさそうにそういうと、メイルが首を振った。
「その幸せが、お父さんとお母さんの痛みと引き換えだったなら……反逆者と言われても、今のほうが納得できます」
メイルがヴァラッドの瞳をまっすぐ見て応えた。
「ありがとう、メイルは優しいな。メイルは、自分が生贄になることについて悩んだり葛藤があると思うんだが、メイルが死んで世界の役に立つことは、護竜という世界から見たら正しくて立派なことなのかもしれんが、それで救われる人間とメイルを天秤にかけて、自分の人生を捨てさせて死を強いることが、おれにはできなかった。ドラゴの行動は世界から見れば正しい。息子を生贄にしても世界を守るという選択は、おれには出来なかったから。間違いだとしても、手の届く者の命を守りたかった。メイルには、死んで役に立つんじゃなくて、生きて人を幸せにできる人間になってほしいと思っているよ」
「……でも、私がこうして生きていることで、私の代わりに生贄になる人がいるというのは事実です。意思や痛覚を持たないという魔造人間の素体だって命です。それを考えると、罪悪感でいっぱいになって、苦しくて耐えられなくなります。私は今日、生贄なった人を見殺しにして、自分の命と、お父さんとお母さんの無事を選んだんです…そんな私に人を幸せになんて、できないと思います…」
「メイル。太陽に生贄が必要な問題を作ったのは、護龍から太陽を消し去った黒騎士テスカの一族だ。彼らは太陽を魔術で召喚するという義務を負っているが、その手段については民に責任を負わせている。だから、民の不満へのガス抜きとして生贄試合(シェーニェ・マーチ)が行われ、生贄になる者が負けたら反逆罪でその場で処刑だが、皇帝と直接戦う権利が与えられえきたんだ」
ヴァラッドが護竜の風習についてメイルに説明した。
「この風習はもう何百年も続いていて、メイルが生贄にならないから、こうなったわけではないんだよ。ここ近年になって、ドラゴが計画を進めている、ルインファルスという人工太陽の話が出てきたから、動力の部品としてメイルの封魔の能力が必要になったんだ。部品になるというのは半永久的にだ。お前の承諾なしに部品にするのは間違っているだろう」
「私は、お父さんとお母さんの痛みと引き換えに、のうのうと何も知らず、ジムダルに守られて、花園で生きていました。だからお父さんとお母さんを救えるなら、私は人殺しといわれても、非難されて居場所がなくなってもいいです。お父さんとお母さんは、すべてを失う覚悟で……私をずっと守ってくれたから……」
メイルが、今度は両親の話を聞きたいと言いだした。果実のジュースの入った器を両手で持って、出会いと、馴れ初め、メイルが生まれたときのこと……そういうお話が聞きたいです、と。だが、メイルがそれを口にした瞬間、なぜか場に気まずい空気が流れた。
「そうだな……オレが話すよ。メイル、父さんと後片付けをしようか。一緒に流し場で洗い物をしながら話そう。ブロスとセムはゆっくりしてろ。久しぶりだし、話もあるだろうからな」
「?」
メイルは、母セムがうつむきがちに申し訳無さそうにしている様子が気になったが、ヴァラッドの言葉を受けて、焚き火の前から立ち上がる。食べ終わった食器を持って、ヴァラッドと炊事場に向かった。並んで歩くと、ヴァラッドの背は高く、歩幅も大きいのでメイルが置いていかれるが、ヴァラッドは歩くペースをメイルに合わせて、メイルが駆け足になると、メイルの方を振り返り、笑顔で待っていてくれた。メイルは、優しい父の心に触れて、今まで心のどこかで両親に対してあったわだかまりが溶けていくようだった。
◇
「ごめんな。メイル。セムとブロス──、二人とも、こういう話は気まずいんだ。色々あったんだ、今まで。だからおれから話すよ」
ヴァラッドは、ゆったり穏やかな言動とは似つかわしくない手際の良さで、綺麗に食器を洗う。母の話をしながら、赤面していたブロスの様子を思い出して、納得する思いだった。三人の間には色々あったのかもしれない。
ブロスとセムは、再会してからほとんど会話をしていなかった。
そんな二人を、二人っきりにしたのはなぜだろう。父も母と一緒にいたいはずなのに、おかしいな、とメイルは思った。ヴァラッドは、言葉を選んでメイルに昔話をした。
「ブロスとセムは、むかし恋人同士だったんだよ」
「!!」
メイルは、ブロスの片思いかと思っていて、そうではなかったことに驚いた。ヴァラッドは、昔の二人は相思相愛でとても仲がよかったこと。ある事件をきっかけに、セムがその記憶をなくしてしまったこと。以降、セムがブロスを拒絶するようになり、ブロスはひどく傷心して、学問の見識を深める旅に出て学者になったことを話した。
メイルは、父がなぜ、ブロスと母の話をするのかわからなかった。
「俺は……ブロスとは統都ラガシュの軍人時代からの10年以上の付き合いでね。セムはもっと昔……子どものころの遊び相手だった。自分の一部にも近いセムが傷ついてるなら、雨風がしのげる傘になってやりたかったし、傷が治るまでの添え木みたいな存在でいようと思ってたんだ。ブロスが傷ついてたら、ブロスにも同じようにしてたと思う。でも、ブロスはセムじゃないとだめだったんだよ。セムもそうだと思ってたから、俺を選ぶと思わなかった──」
ヴァラッドは、穏やかに会話に応えるメイルの雰囲気に促されるように、いつしか本音を吐露していた。
「結果、ブロスからセムを掠め取る形になってしまった……ブロスは長い間、俺達の前から離れていた後、それでも俺とセムを祝福してくれて、友人でいてくれた。嬉しかった。どこか、寂しくもあったが──」
ヴァラッドは、ブロスに殴られたほうが、まだ納得できたのにな、と続けた。
「お父さんは、会った時からスキットルでお酒を飲んでいますが……それは……寂しいから……? いえ、ごめんなさい! 立ち入ったことをいってしまって……」
メイルがあわてて言葉を打ち消す。ヴァラッドが、メイルに本心を言い当てられてしまったことに苦笑いを浮かべる。そして、スキットルの酒をあおった。
「『デウスの眼』は、意識の中に四六時中流れ続ける、情報の洪水だ。意識を酩酊させたくて、酒を飲んでるんだが……そうだな、寂しくもあるな。自分が、情報の洪水に取り残されて、一人になった感覚になる。でも、セムとブロスと酒飲んでるときは楽しかったよ。セムはすぐ赤くなってよく喋るようになるし、ブロスは一日の反省会を始めて遠い目で自分をなじり始めるし……メイルも、友達は大事にな。俺とセムになにかあったら、ブロスを頼るんだぞ」
メイルは、両親になにかあったら、ということを想像するのが怖くて、そのことについては黙っていた。
「……ブロスさんは、優しい人ですね。私を助けるために、軍属学者の職を辞してまで、一緒に行動してくれたんです」
「そうだな。ブロスは優しいやつだよ。『デウスの眼』で過去や未来を覗かなくてもわかるよ……事情があって、セムはブロスを選べなかっただけなんだ。ただ、おれはそれでもいいと思ってセムと将来を誓ったから、幸せだよ。それは本当だ。セムの笑顔が、俺の生きがいだからな。どんな道化にだって、喜んでなるさ」
ヴァラッドが、メイルに悪戯っぽく笑いかけた。
「そういう考え方ができるの……かっこいいです」
メイルが頷きながら訊いている。
ヴァラッドはメイルの大きく澄んだ瞳を見ている。メイルの過去と未来が『デウスの眼』で断片的に意識に流れ込んでくるのを、ヴァラッドは感じとっていた。
メイルは、心臓の悪いジムダルや、動物や、植物に思いやりを持って優しく接してきたのだろう。メイルの過去の丁寧な暮らし、未來の過酷なビジョンが見えた。ヴァラッドはメイルに嘘はつけない、と思い、重くなる声を押すように、口を開いた。
「おれは……おれはな……メイルの、本当の父親じゃないんだ」
メイルの頭の中が、真っ白になり、布巾で吹いていた皿を落としかける。
「でも、メイルがおれを父親だと思って、それが幸せだと思ってくれるなら、そういう優しい記憶になりたいと思ってるよ。メイルは本当に、思いやりのある子だからな。ありがとうメイル、ジムダル……親父にも、優しくしてくれて」
ヴァラッドはそういって、メイルの頭を撫でた。
「優しい…『記憶』ですか? お父さんとは、これからずっと一緒にいられるのに?」
メイルは一抹の不安を感じて、ヴァラッドに確かめるように訊いた。
「おれがどうなっても、メイルの本当の父親が、メイルを放っておくことは絶対にないよ。これは絶対だ」
ヴァラッドは、メイルを励ますように言った。
「でも……本当のお父さんが名乗り出てくれたり、出会ったとしても、……お父さんをお父さんと思っていていいですか? お父さんは、私が本当の娘じゃないのに、14年も私のために痛みに耐えていてくれました。お父さんは、やっぱり私のお父さんです」
「ありがとう。メイル。たとえ血がつながっていなくてもメイルは俺の娘だって、メイルがセムのお腹にいたときからずっと思っているよ」
皿を両手に抱えたまま、泣きそうになっているメイル。ヴァラッドはメイルの頭を撫で、背を抱いた。
◇
「ヴァラッドとメイル、遅いわね……」
パチパチと静かに爆ぜる焚き火の前で、セムが落ち着かない挙動でつぶやいた。 メイルに話しかけていたときの柔和さとは全く違う、感情が凍てついた表情をしている。ブロスはセムと視線を合わせないまま、燃える炎に視線を落としたまま応える。
「……ヴァラッドは、メイルにおかしなことは喋ってないと思うぞ」
「そうね……」
無言の時間が流れる。
「……ずいぶん無口になったのね。……私と一緒なのは、あなたにとっては不愉快なのはわかるけど……」
セムは美しい表情を曇らせながら、ブロスを見た。セムの言葉に反して、ブロスは微笑んでみせた。
「いや。君が生きていて、嬉しい」
セムがびっくりしたようにブロスを見た。そしてやりきれないような表情になった。
「……あなたには幸せになってほしい。私とのことは忘れて……私は…あなたに殺されても文句は言えないもの。軍で拷問を受けていた時も、これは罰なんだと思っていたわ」
「君が、罰を受ける理由はない」
セムは、焚き火をじっと見ている。
「……言わないと、あなたを騙しているようで……でも、言ったら、あなたをまた縛り付けそうで怖い。でも本当のことを言うわね。メイルのことなんだけど……」
その時、焚き火が大きく爆ぜた。 セムの消え入りそうな声がかき消される。ブロスはその言葉を聞き逃さなかった。
「ヴァラッドは……知ってるのか」
ブロスがぽつりと応えた。セムがうなずく。
「私は……ヴァラッドを愛しているわ。私の人生を、人格を、過去を、メイルのことまで、全部受け入れてくれたから。だから、ブロスの人生を私の事情で縛るつもりで言ったんじゃないの。ただ、メイルのことを思うと、黙っていられなくて……私達がいなくなったら、メイルの助けになってほしい。身勝手な願いだってわかってる。でもせめてメイルが、自分の力で生きていけるようになるまでは……」
「一つだけ。はぐらかさないで答えて欲しい」
「なに?」
ブロスが静かに言った。
「なぜ……君は、私から離れていったんだ」
「愛して……たからよ。……やめましょう、この話は。……凍った怪物は、溶かさないほうがいいわ」
「私は、怪物のままだ」
「……どういうこと?」
「制御できない怪物が心のなかにいる。昔、念入りに殺しておいたはずなのに」
「私は、ヴァラッドを愛しているわ。ただのお友達なのよ、あなたは」
セムの言葉は震えていた。
「私には……それが嘘に聞こえる。ヴァラッドは、信じられないくらいの、いいやつだから、その嘘を受け入れて、君のそばにいるように見えるんだ。昔も今も、君の心は変わってないと信じたいんだ……心の奥で感じた真実(こと)は……そんな簡単に変わりはしないのだと……」
「……」
「……困らせて、すまない。ふられた男の悲しい妄想だよ。忘れてくれ。全部、嘘だ。君の幸せを願っているよ。メイルのことは心配しないでくれ。私が絶対に守るから」
「私も、あなたの幸せを願っているわ……あなたにそう感じる心があるなら、そういう心の持ち主と惹き合うはず。きっといるわ、あなたと普遍の真実をもって、歩めるひとが」
ブロスはそれには応えずに立ち上がると、一人で丘の向こうまで歩いていく。セムはブロスの後姿を見ていた。
◇
「お母さんが好きなものはなんですか? 私はお花を植えたり、飾るのが好きです」
少年の父親が貸してくれたテントの中で、メイルとセムは話をしていた。
「そうね、私の好きなものか…。昔、ラガシュにいた時は、水耕栽培の果樹園で働いていてね。小きな林檎の果樹園。だから今も林檎が大好きよ。メイルはお花が好きなのね。メイルにとっても似合っていると思うわ。メイルは、将来なってみたいものとかはあるの?」
「ジムダルは、『人間の素敵なところが見たかったら、花にまつわる仕事をしてみるんだな』って言ってくれたので、私も、ジムダルのような庭師さんや、お花屋さんになりたいんです」
メイルがそう言ってはにかむと、セムがにっこり微笑んだ。
「そうねメイル。お花屋さんに訪れる人は、日常を花で彩るささやかな幸せを知っていたり、誰かのことを想ってお花を買いに来るものね。ジムダルはいいことを言うのね、お花が好きな優しい人達の暮らしの一助になれるのは、素敵なことだと思うわ」
「私もお母さんと同じことを思ったんです。だからお花を贈りたい人が喜ぶような、素敵なアレンジメントや花束を作れたらいいなって思ったんです」
「できるわよ、メイルなら。お母さんも、メイルが選んでくれたお花が欲しいわ。メイルはスノウメディウムが好きなのよね。スノウメディウムのアレンジメントはとっても綺麗でしょうね」
「スノウメディウムが咲いたら──咲かせるのがとても難しい花なんですが、お母さんにアレンジメントをプレゼントしますね。外に、お花は咲いていたでしょうか。今お母さんのためにお花を摘みたいのですが…」
「外に出てみる? ちょっと暗いから明かりを持っていきましょう」
メイルとセムは、外に出て野花を摘んだ。メイルの感覚で束にされる野花は素朴で、とてもいい匂いがした。
「とっても可愛い花束ね。嬉しいわ。ありがとう、メイル」
メイルが摘んだささやかな花束に、セムはとても喜んだ。
野花の名前を口にしながら花を摘む、メイルとの会話を噛みしめるように。セムはメイルの傍らでとても嬉しそうにしていた。
「メイル、あなたに…言わないといけないことがあるの。あなたの身体に宿るものについて……あなたを産む前は、私の身体の中にあったもの……」
セムは、『メイルの意識の中に、古の魔神の分体が封印されている』と話し、驚かないで訊いてね、と続けた。
「……あなたが怒りで我を忘れたり、意識を失ったり、魔神を封じている封魔の血が著しく失われると、あなたの意識を押しのけて、『それ』が出てくる可能性があるの。出てしまったら、周囲に対して破壊活動を行う。それは自分の意志では止められないわ。だから私達、封魔の御子は、この薬を持たされてきたの……でもあなたには……やっぱり渡せない」
セムは、ランプの光が照らす薄暗い空間で、首元のペンダントを外した。ペンダントトップは小さな瓶になっていて、中には赤い液体が入っていた。
「即効性の……安楽死の薬よ。冥薬草を煮詰めたもので、苦しまず痛みなく死ねると……聞かされてきたわ。周囲に対して破壊活動を行う前に、意識があったのなら、これを飲むようにと、私は自分の母に言われた。母は、祖母にそう言われたらしいわ。でも私は、あなたが生きていることを、14年間ずっと祈り続けてきた。これをあなたに渡すことが正しいのだとしても、やっぱり……できない……!」
セムは、その華奢な瓶を割った。赤い液体がセムの手のひらから零れる。メイルは、母の悲しそうな表情と、その液体をじっと見ていた。
「お母さん……」
「……昔ね、とてもつらいことがあって、この薬を飲もうとしたことがあったの。その時、泣いてくれた人が居た」
「それは……お父さん……ですか? 本当の……」
セムが、涙を浮かべてメイルを抱きしめた。
「ヴァラッドが、話したのね。私がつらかったことは、あなたの本当のお父さんの心を……傷つけてしまったこと」
「……本当のお父さん……お母さんは、本当のお父さんを愛していましたか?」
「ええ。だからあなたが生まれたのよ。メイルは、スノウメディウムの花の名前を知っている? ジムダルから、訊いたかしら?」
「訊いてないです。スノウメディウムの花にお名前があるのは、初めて知りました」
メイルが大きな瞳をさらに丸くしている。セムが、愛おしそうにメイルを見つめていった。
「スノウメディウムの花はね。『真実の愛(メイル)』っていうのよ。あなたの名前の由来。私はあなたの本当のお父さんと、スノウメディウムを育てていてね、スノウメディウムは、愛のある場所にしか咲かないといわれているわ。でも私は、その花を見ることができたの。メイル、あなたをね──」
メイルは、自分の名前に込められた意味を知って、胸が詰まり、涙が出そうになった。
「あなたの本当のお父さんのことは、お父さんの都合もあって話せないけど、愛情深くて、人の痛みのわかる──凍った心に火を灯してくれるような、心の優しい人だったわ」
「お母さん……私、嬉しいです……私は望まれて生まれてきたんだって……信じることができるから……」
「メイル、辛くなっても、自分を見失っちゃだめよ。自分の心を手放さないで、自分に正直でいれば、魔神に意思を乗っ取られないで、道は開けてゆくから……あなたは自分と周りの人たちを幸せにできる、強い子だって信じてるわ……ごめんね、せっかく会えたのに、こんな話をして。そろそろ寝ましょうか。今日は色々あって疲れたでしょう? きれいな花束、ありがとうね、メイル」
セムが、優しくメイルの髪を撫でた。メイルは、花の香りのする母の細身にくっついて眠る。
時折セムが愛おしそうに、メイルの頭を撫でていた。安心する柔らかいぬくもり。母は、メイルに対してかぎりなく優しく暖かく、はっとするほど綺麗で、メイルも成長したら、セムのような女性になりたいと願いながら眠った。
◇
「メイルは眠ったか?」
「ええ」
テントから小さな花束を大事そうに持ったセムが出てくると、ヴァラッドがそう声をかけた。
ブロスは神妙な面持ちで、焚き火の前に座っていたが、ヴァラッドとセムの様子を見ると、顔色を悪くして立ち上がった。
「悪いな、ブロス。もう時間みたいだ……」
ヴァラッドがそう言うと、片膝を着いた。セムも口元から一筋の血を流している。
「……すまない二人共……もっと私に、力があれば……」
ブロスが、双眸に涙を浮かべている。所在なさげに立ち尽くす。
「こうなることはわかってたんだ。お前はメイルと一緒に、俺たちを助けに来てくれただろ。だから残った時間をメイルとも過ごせた。楽しかった。十分だ…よ……メイルを……頼んだ……ぞ」
セムとヴァラッドは折り重なるようにして倒れ、その身体をブロスは支えていた。
二人は砂のように崩れ、夜風に消える。 軍が二人に施した、逃走者に対する自壊の措置だった。
◇
翌日、メイルが目を覚ますと、両親がいなくなっていた。 朽ちた焚き火の前で、メイルが昨晩セムと一緒に摘んだ小さな花束を見つめ、ぼんやりと一人座っているブロスに両親の所在を聞く。
二人は軍の逃走者に対する処置を受けていて、軍本部から離れれば1日も生きられない身体だったのだという。
それでも、二人は娘のメイルと残された時間を過ごすことを選んだ。
「そんな……そんな……! せっかくお父さんとお母さんに、会えたのに、……これからずっと一緒にいられると思っていたのに……!」
メイルの双眸から涙がこぼれたが、ブロスも涙を流していた。
メイルは大人の男性が泣くところをはじめてみたので戸惑ったが、とっさにブロスの肩を抱いた。
「ごめんなさい、ブロスさん……ブロスさんのほうが……辛いですよね……」
メイルはブロスを胸に抱くように、両腕で抱きしめながら、ブロスの広い背を撫でていた。それは少しの時間だったが、ブロスは涙をぬぐうと、メイルに侘びた。
「すまない。もう大丈夫だ。みっともないところを見せてしまったな。大人が泣いていては、君が安心して泣けないというのに……」
「いいえ、ブロスさんが私の代わりに泣いてくれたので……それにお父さんとお母さんとは、一緒にいた時間も長かったんですよね、悲しいのだって、無理もないです……」
ブロスとメイルは黙々とキャンプの片付けをした。
挨拶に来た少年の両親に事情を話すと、少年の両親はやりきれない表情を浮かべて、言葉を失っていた。
「友人やメイルともども大変お世話になりました。里の祭りにも参加させてくれてありがとう。おかげで家族の時間が過ごせたと喜んでいました。軍の追っ手が来るかもしれないことも考えると、隠れ里に迷惑はかけられないので、私達はそろそろ失礼したいと思います。あたたかい心遣い、心より感謝します。本当に、ありがとう」
少年の両親とブロスは、固く握手して別れ、隠れ里の外界に繋がる門《ゲート》を開けてくれた。
「その……問題が解決したら、またこいよ。じいちゃんと、待ってるからさ。来年の祭りも、一緒にご馳走食べようぜ」
少し寂しそうな表情を浮かべる少年に、メイルありがとうとお礼を言って、隠れ里を後にした。
◇
「……お母さんは、封魔の御子が代々持ってきた安楽死の薬を、私にはどうしても渡せないといって泣いて、割っていました。私はそれを見て、自分の命を大事にして、生きて自分ができることで周りの人の役に立つことをするって決めたんです。お父さんとお母さんが愛し合って私が生まれて、私を大事に思ってくれていたなら、私にとってそれが一番の救いだから……二人にもらった命で生きて、生贄になる以上に役に立つことをするって決めたんです……」
メイルがスペリールラグーンで、古代人の森を駆けながら、ブロスに言った。
「……そうか。セムは、あの薬を、君には渡さなかったんだな。英断だよ。君のことは私が守る。代替部品も作る。君が、君の人生を選んで、幸せに生きていけるように……君のことを頼む、とヴァラッドとセムに託されたからな。私にも協力させてくれ」
「お父さんと、お母さんが……? でも、ブロスさんとまた一緒にいられて、嬉しいです。ありがとうブロスさん……」
二機のライドギアは、霧がかった森から蒼穹に飛翔した。