ライドギアを疾駆し、夜都ダロネアに向かう空の旅の途中。
聖都オルゴンの、急峻な山嶺と頂上に建設された荘厳な大聖堂。
風都フォラスの、風車が立ち並んだ、のどかな農耕風景。
メイルが世界の様子を目の当たりにしたのは、初めてと言っていい。
同行者のブロスは、人気のない空路を選んで通過している。しかし、人々の暮らす街の景観、暮らしの様子は、遠目からでも確認できた。
人々の暮らしを確認するたびに、メイルの胸に鉛の雫が落ちるような、重い感情が湧き上がってくる。
「……私が生きることを決めた代わりに、あの灯りのなかで生活している人たちが……日に一人、太陽の生贄になって死んでいるのかもしれないんですよね…こうして、護龍の人たちの暮らしを目の当たりにするとやっぱり……苦しいです」
「……君に、そのことを考えるなという方が、無理か……。急ごう。エヴァン博士の研究所のある、夜都ダロネアはもうすぐそこだ。空が暗くなってきただろう?」
夜都ダロネアは、太陽光を遮る黒い火山雲が、一日中、空を覆っている。漆黒の夜空に、大きな満月が昇る、夜の都だ。
太陽が近く、正規軍を抱える首都トルテカとは対象的に、王政に義憤を抱く反乱軍が在籍する自由都市。
遠目から見た夜都ダロネアは、古い建築物が上品に立ち並ぶ、幻燈を灯したような、幻想的で美しい街だった。
メイルとブロスが、ダロネアのはずれの森にライドギアを降ろし、指輪に収納する。ブロスの案内で、街はずれにある、エヴァン博士の研究所に向かった。
「エヴァン博士は、優秀な科学者でな。ダロネアに住む彼が正規軍に協力しているから、反乱軍の街であるダロネアの街も取り潰されていないのだ、という逸話まである。反乱軍としては、エヴァン博士の協力は喉から手が出るほど欲しいだろうが……」
ブロスが、薄暗い獣道のような雑木林を歩きながら、メイルに話した。
「エヴァンさんとは、親しいんですか?」
ブロスが、頷く。
「ルインファルスの開発で、何度もお世話になった。彼の専門は機械工学で、人工太陽《ルインファルス》を動かすための、ルインプラントの建造に欠かせない人材だったんだ。何度も話すうちに、親しくなってね。私の助手だったリーゼの育ての親御さんでもある」
「リーゼさんも、エヴァンさんのことを、お父さんって呼んでましたもんね。でも、エヴァンさんは、私達に協力してくれるでしょうか? 今、私達は軍に追われる身ですし……」
「うむ。極力エヴァン博士には迷惑をかけたくないんだが、話してみないことにはわからんな……」
メイルとブロスが歩いていると、大きな施設が見えてきた。
三階建ての研究所で、明かりが灯っている。ブロスが研究所のチャイムを鳴らす。中から、揉めているような声が聞こえた。
「来客中のようだな……」
どうやら、聞こえてくる会話の内容から察するに、反乱軍の兵士が、エヴァン博士の協力を取り付けたいらしく、必死に頼み込んでいる様子だった。
「……だからね、おれがおたくらに協力すると、正規軍がダロネアを攻撃してくる口実を与えてしまうぞ。ダロネアが危なくなると、おれも研究ができなくなって困るんだが……」
エヴァン博士の声らしい、困惑した声が聞こえる。
「それに、ほら、別のお客さんも来た。おれの返事はいつもと同じだよ。とりあえず、引き取ってもらってもいいかね」
エヴァン博士はそう言うと、研究所の扉を空けた。
中にいた反乱軍の兵士は、目の前のブロスとメイルを睨みつけ、二人が指に嵌めた指輪を見て『エドゥアルド人…!』とつぶやき、その場から去っていった。
「こんばんは、お久しぶりですエヴァン博士。お元気そうで安心しました」
「やあ、こんばんは。応接間へどうぞ、ブロス君。リーゼから話は聞いているよ。よく無事にここまで来れたな」
エヴァン博士は、ぼさぼさの白髪頭に、眼鏡をしていた。少し汚れた白衣を羽織っている。
ブロスとメイルを散らかった応接間に通すと、新品のビーカーを出してお茶を淹れ、大きめのシャーレにお茶請けを並べて、雑然としたテーブルの上に置く。エヴァン博士は、研究以外のことにあまり細やかに気が回るタイプではないらしい。
「ありがとうございます」
ブロスは躊躇いなく、ビーカーで出されたお茶を飲む。メイルは、二人のいつものやりとりなのかもしれないと思い、ブロスにならって、お礼を言ってお茶を飲んだ。
「エヴァン博士。誠に勝手で恐縮なのですが、軍を辞めた身で、何を言っているかと思われることも重々承知なのですが、ルインファルスの研究にエヴァン博士の力添えが必要なんです。ご協力いただけないでしょうか」
「私からもお願いします。ブロスさんは私を助けるために職務を辞してまで一緒に行動してくれたんです。身勝手な申し出でごめんなさい、でも、なんとか協力していただけないでしょうか」
メイルとブロスがそう言うと、先程の反乱軍の兵士への態度とは裏腹に、エヴァン博士は即答した。
「あー、いい、いい。そういう堅っ苦しいのは。おれはそのつもりだよ。リーゼの頼みでもあるし。リーゼ一人じゃ、君の後任は無理だろう。この研究所でどれだけできるかわからんが、君だってルインファルスの開発に14年もかけてきたんだ。それを途中で投げ出すような人間じゃなくて、安心したよ」
エヴァン博士は、人好きのする笑顔で笑った。ブロスが何度も頭を下げる。
「一つ、条件がある」
ブロスは、尽力させていただきますと応えた。
「いやねえ、できればでいいんだが、君が嫌じゃなかったら、リーゼとな……一緒になってくれんかね。あっ、そんなに身を固くしなくていいぞ。お互い、好きならって話だ。リーゼは君のことを気に入っているようだし、ブロス君だと、なにかと安心だなって話。ブロス君の人柄はよく知ってるしね。リーゼも、真面目でよく働く、いい娘だろう?」
エヴァン博士はそういって、屈託なく笑った。
「ええ、本当に。リーゼには、何度も助けられました。よく働いて、気も利くし、開発助手は適任ですね」
「だろう、だろう」
エヴァン博士は、ブロスの言葉を受けて、嬉しそうに笑った。
メイルは、エヴァン博士がリーゼの事をとても大事に思っているのだなと感じた。
エヴァン博士は、リーゼに『変なことを言わないでよ』と釘を刺されたことと、ブロスの力になるように言われたことを付け加えた。
「まあ、それでひとつ、変なことをいいたくなったと言うか、冗談だから。そんなに真顔にならんでくれな。君は小綺麗にしてるのに、浮いた話ひとつ聞かないからな」
「お恥ずかしながら……昔から女性に好かれる性質でもないので……」
ブロスがしどろもどろになっている。
エヴァン博士は、ルインファルスの話を始めた。おそらく、メイルに聞かせたかったのだろう。ブロスが何をしてきたのか、メイルにもわかりやすく説明してくれた。
14年掛けて、ルインプラントという、地中に向かって伸びる塔のような動力炉を作ったこと。
人工太陽《ルインファルス》の動力はルインフレームという魔術生物で、発電システムを作り、ルインフレームを電池《ルインシリンダー》として使うこと。
電池《ルインシリンダー》の事故に備えて、プラントの中に何層にもシェルターのような頑強なシャッターを作り、地上への被害を最小限にする設計にしたこと。
物理的に時間を要する工事が行われた為、建設に十年近くかかってしまったこと。
ルインプラントの設計や、ルインフレームを使った発電技術、ルインシリンダーの設計と、現場の責任者をブロスがやっていたこと。
「ブロスさんは、凄い人だったんですね」
「いや、私は凄くないよ。凄いのは現場の技師たちと従業員だ。私の机上の空論を、見事に現実化してくれたんだから」
「ブロス君は学者としても優秀だが、技師への扱いや心配りも丁寧で人当たりもよかったから、現場の人間はブロス君じゃないと納得しない者も多いだろう。リーゼだと少し荷が重いな。おれも協力するから、リーゼを助けてやってくれ、ブロス君」
「エヴァン博士……本当にありがとうございます」
エヴァン博士に深々頭を下げた。
「ブロスさん。封魔の御子はどのように部品になるのか、聞いてもいいですか?」
メイルは、遠慮がちにブロスに訊いた。
「そうだな。君に話していなかった。ルインフレームという魔術生物を電池《ルインシリンダー》にする際に、ルインフレームが目覚めて暴れないように、ルインフレームの魔力を封じ、ルインプラントに正常に魔力が循環するようにコントロールする役割で、封魔の御子が部品になるんだ。君の思考をAIと繋ぐから、生きたコントローラになる。ただ、延命措置を施され、半永久的に稼働することになるだろう。できれば、人間を使いたくないんだか、君の封魔の能力だけを抜き出すことは、現状ではできないんだ」
「リュウさんも……部品になると言っていましたが、私とは違う役割なんですか?」
メイルは、ヴァルバ正規軍の基地で見た、凛としたリュウの横顔を思い出しながら言った。
「リュウ少尉は、君とは逆の、降魔の能力──つまり、ルインプラントの魔力を増幅させる部品になる予定だった。電池《ルインシリンダー》だけでは、人工太陽《ルインファルス》を発現させるだけの魔力が足りない。それで彼の力を借りることになったんだが……。リュウ少尉の、降魔の能力は強力すぎて、魔力暴走の危険がある。君の封魔の能力があれば、魔力暴走も中和されてコントロールがしやすくなる、という話だったんだ」
メイルは頷きながら聞いている。丁寧に説明してくれたブロスにお礼を言った。
「ところで、この子は……メイル君は、ブロス君と、どういう関係なんだ? 君の役割とやってきたことを思えば……ルインファルスの部品になる予定の人間に、ここまで肩入れはしないだろう。そういう覚悟は、開発に従事する前に、もう済ませてきたと思っていたものだから……」
エヴァン博士が、科学者らしい冷酷さを持った現実的な目線で、メイルとブロスを見た。
「メイルは……正規軍に捕まって、14年間拷問を受けていた親友の娘なんです」
「君が、親友の命を天秤にかけられて開発に従事していたことは知っている。だが、本当にそれだけか?」
「……ご迷惑でなければ、後で話します」
「わけありなんだな。14年もルインファルスの研究を続けた君が固執するんだから、よほどのことなのだろうと思ってはいたが……後で話を聞こう」
エヴァン博士は、会話を終えて立ち上がると、自身が研究している『マナ・ギア』と呼ばれる、ビー玉ほどの精密機械を、メイルとブロスに見せた。
魔石から召喚できる様々な武器、魔術兵器《ギア》の力を再現し、増幅させ、精神的負荷を軽減させる装置。
魔石《ギア・ストーン》と適合せず魔術兵器《ギア》を扱えない者も、この機械を媒介にすれば、魔術兵器《ギア》や魔術《ルーン》を召喚して使役することができるという。
ライドギアを始めとするギア使いには、重宝するものだった。
「ダロネアには、魔力浸透率の高い鉱石、魔鉱石《ミスリル》の採掘場がある。『マナ・ギア』は魔石《ギア・ストーン》と魔鉱石《ミスリル》を使用した精密機械だ。魔石との適性がない者でも、魔術兵器《ギア》や古代魔術《エンシェント・ルーン》を扱うことのできる。今の所、召喚できるのは、『剣』『杖』『盾』『弓』だけで……生粋のギア使いが召喚する魔術兵器《ギア》のバリエーションには劣るが」
エヴァン博士が『マナ・ギア展開』というと、ギア使いではないはずのエヴァン博士が、魔術兵器《ギア》の剣、杖、盾、弓を召喚する。形状を変化させて見せるたび、辺りに魔術粒子が舞った。
「正規軍は、反乱軍より先に『マナ・ギア』を実践に投入し一般兵に魔術兵器《ギア》を装備させ、ギア使いの集団である反乱軍を叩き潰したいと考えている。『マナ・ギア』があるから、これの研究をしているおれの住むダロネアを、正規軍が攻撃してこないなんて噂もある。だが実際のところ、一番の理由はあれだよ、エンシェントドラゴン・ルインカリオ。まだ自我を失っていない最強のドラゴンが、ダロネアにいる。反乱軍が御旗に掲げている通り、ルインカリオがダロネアの守護神ってわけだ。ただの科学者に過ぎない、おれではなくね。まあ、おれも、都合がいいから、噂を利用したりはするがね」
エヴァン博士がそう言って笑い、ブロスとメイルに『マナ・ギア』を渡す。
「試作品だが、君らは、レグナントも召喚できる、精神力の消耗が激しいライドギアを扱うんだろう? 『マナ・ギア』があれば負荷が軽減されるはずだ」
「いいんですか? こんな貴重なものを」
ブロスが恐縮した。
「君らは、反乱軍でも正規軍でもないからな。おれは、軍と名のつくものには、昔からいい思い出がない」
ブロスの表情が固くなっている。
エヴァン博士は、『二人が泊まる部屋を片付けておくから、外の空気を吸っておいで』と、メイルに夜景の綺麗な場所を教えてくれた。
メイルは、先程話していた、ブロスがメイルに肩入れする理由について話すのだろうなと思った。それについては、メイルも気になっている。
メイルは、エヴァン博士にお礼を言って、研究所を出た。玄関先までブロスが見送りに来る。
「エヴァン博士、いい方でしたね。安心しました」
「ああ。昔から良くしてくれる優しい人だよ。リーゼとエヴァン博士には頭が上がらない。夜景を見るのはいいが、あまり遠くへ行くんじゃないぞ」
「はい。エヴァン博士とのお話の続きもあるでしょうから、少し周辺を見て回ってきますね」
メイルはそういうと、会釈して研究所を出ようとした。
すると、研究所のすぐそばに、立ち去ったと思われていた反乱軍の兵士がいた。
メイルを上から下まで品定めするような視線で見る。
「……お前の連れは、人工太陽《ルインファルス》の開発者か? エヴァン博士は人工太陽《ルインファルス》の開発に協力するのか?」
メイルは急に声をかけられ、びくりと身体を震わせる。
玄関先にいた反乱軍の兵士は、どうやらブロスとエヴァンの会話を盗み聞きしていたらしい。
どう応えていいものかと、メイルは迷ったが、下手に返答するとブロスやエヴァン博士に迷惑をかけてしまうのではと考え、メイルは質問には応えなかった。
「ごめんなさい。私からは、お応えできません……」
「そうかよ、エドゥアルド人。今日が大流星群の日で、ルインフレームが大量に現れる日だと知っていて、よくもダロネアに来てくれたな。ルインフレームは、お前らエドゥアルド人に引き寄せられて現れるんだろう? その指輪、エドゥアルドの指輪だ。隠しもせずに、堂々としたもんだな」
「ルインフレームは、魔術生物と聞きましたが、それがダロネアやってくるのですか? ルインフレームが、どういう存在なのか、私にはまだよくわからないのですが……」
メイルがそういうと、反乱軍は目の色を変える。
男は、メイルに容赦なく平手を食らわせ、ギアスーツの胸ぐらを掴んだ。
「あぅ!」
「このガキ!! ルインフレームがどういうものかわからないだと!? きょうび赤子だってルインフレームがどういうものか知っていて、現れたら怯えて泣くぞ! 人間に微弱に流れる魔力粒子を吸うために、人を喰う機械の化け物だからだよ!! 俺の家族も全員ルインフレームに殺された!! そして、ルインフレームは、お前らエドゥアルド人のいるところに現れるという伝承がある!! わかったら、いますぐダロネアから出ていけ!!」
反乱軍の兵士はそういうと、メイルを思い切り突き飛ばし、立ち去っていった。
メイルは自分の無配慮を恥じながら立ち上がると、腫れた頬を小川の水で冷やした。ブロスに見られたらまた心配をかけさせてしまう。そう思い、近くの岩の上に座って、腫れがひくまで、ダロネアの夜景を見ていた。
美しい夜景が、ひどく遠く感じられて、メイルという存在と、人々の普通の暮らしという光景に、埋められない断絶を感じた。
メイルが自分が世界から否定されているような気持ちになる。
両親には自分は排斥されても、居場所がなくなっても平気だと話したが、実際には孤独を感じる。
この状況で、自分が人々にできることはなんなのだろう?
人工太陽《ルインファルス》の部品になる以上に、役にたてることとは……考えても、答えが出なかった。
◇
「そうか……それでメイル君を部品にしないで、代替部品での起動を試みる方向に転換したいわけか……」
エヴァン博士が、ブロスの事情を訊いて、神妙な表情で応えた。
「完全な私情だが……気持ちとしてはわかる。私も君と同じ立場なら、できるのであれば、そうしたかもしれない……私がリーゼを、部品にするという立場だったらね。だが、正直なところ、難しいのではないか? 封魔の御子や、降魔の御子の能力を持った、代替部品など作れるのかね? こんな事を言うと冷酷と思われてしまうかもしれないが、君がメイル君を確保しているのは幸いだと思う。もし代替部品が無理だった場合は……君が、メイル君を、部品にするしかないのだから。何年もかけて、それだけの準備が既に整いつつある、これはもう変えようがない」
「……それはわかっているつもりです。ただ私が、メイルに関係するものとして、メイルにしてやれることは、代替部品を作って、メイルが自分の人生を選べるようにすることだけです。……それが最終的に無理だったのなら、私がメイルを部品にするしかなくなりますが……」
「つらいところだな……それにしても、メイル君は遅いな。気を使って、まだ外にいるのかもしれん。迎えに行ってやったらどうだ?」
ブロスは、そうします、といってエヴァン博士に会釈すると、部屋を出ようとした。その時、ちょうどメイルが戻ってきたので、入口で鉢合わせする形になった。
「あっ。ただいまです、ブロスさん……」
「ああ、おかえりメイル。遅かったから、心配したぞ……その頬、どうしたんだ?」
ブロスが目ざとく、メイルの赤く腫れた頬に気づく。メイルは説明に困ってしまったが、言葉を選んで説明した。
「そうか……ルインフレームを知らなかったといって逆上させてしまったんだな」
エヴァン博士が、反乱軍の兵士にも、メイルにも同情的な目を向けた。
「最近、ルインフレームの被害が甚大でね。ダロネアは一日中夜が続くから、夜行性のルインフレームも現れ続ける。家族をルインフレームに奪われた者も大勢いるんだ。それで、街の人間は怯えて、皆ピリピリしている。君たちにこんなことを頼むのも申し訳ないんだが、君たちの持つライドギアを使って、ルインフレームを討伐してもらえないだろうか? 今夜は大流星群の日で、星の持つ魔力《マナ》に引き寄せられ、ルインフレームも大量に現れるだろう。ダロネアに住む一人としてのお願いだ、頼む」
エヴァン博士が、ブロスとメイルに、深々頭を下げた。
「構いませんよ。エヴァン博士や街の役に立てるなら、いくらでも尽力しましょう」
ブロスが即答する。メイルも「私にもやらせてください」と頭を下げた。
「ありがとう、ふたりとも。ここ、反乱軍の街ダロネアでは、当然だが正規軍の警護などはない。他の街に配備されている、ルインフレームと戦うための、軍用ライドギアもない。だから今までは飛空艇と古代魔術でルインフレームを撃退していたんだ。君たちのライドギアがあるととても助かる」
エヴァン博士が安堵したように言った。
「街周辺は、反乱軍の者たちが既に警護にあたっていて、ルインフレームの侵入を阻む強力な結界を張っている最中なんだ。君たちは、ダロネアの上空で、現れたルインフレームを撃破して欲しい。……ルインフレームに家族を奪われた者の中には、『エドゥアルドの民が、ルインフレームを引き寄せている』という迷信を信じ、君たちエドゥアルド人を憎む者もいる。君たちがルインフレームと戦う姿を見せることで、そういった偏見を払拭させたいという思いもある。警備にあたっている反乱軍には、私が話を通しておくから」
ブロスは頷くと、「では早速、ダロネアの警護にあたろうか」とメイルを連れて、エヴァン博士の研修室を退室した。
「頼んだぞ、ブロス君。メイル君」
エヴァン博士が二人の背中に呼びかけた。
◇
二人が研究所の外に出ると、夜空には、幾千もの蒼く美しい流星郡が降り注いでいた。
「綺麗……」
メイルが、目の前に広がる美しい光景を目の当たりにして、思わず呟いた。
「なにもないのなら、眺めていたかったがな。急ごう。流星の放つ魔力粒子を吸って、ルインフレームが強化される。長い一日になりそうだ」
「ブロスさん、ルインフレームが、ルインファルス《人工太陽》の電池になったり、魔力《マナ》を吸うために人を襲うというのはわかったのですが、ルインフレームの生態について、詳しく教えてもらってもいいでしょうか……?」
メイルが、申し訳無さそうに、ブロスに訊いた。
「ライドギアによく似た、出自が解明されていない、機械で出来た魔術ゴーレムだ。惑星や人体に含まれる魔力《マナ》を主食としていて、ターゲットに定めた惑星に住む動植物を、外敵と定めて、喰らうといわれている。ルインフレームは、太陽光を嫌い、夜しか現れない」
メイルは戦慄した。今までそのような存在を知らずに生きてきたからだ。
「ルインフレームは流星を呼び、流星を惑星にぶつけて破壊し、魔力《マナ》を喰らう。吸い尽くしたら、別の星へ。そういう生物らしい。なにを目的に魔力《マナ》を喰らうのかは解明されていないが。ルインフレームと、ライドギアは、外観がよく似ているので、ルインフレームの出現には、エドゥアルドの民が関係しているとかいう迷信が信じられているんだ」
「それを、今から倒しに行くんですね。ドラゴ将軍や副官のヘルダーの操る、ムスタバルやヴィオーラくらい、手強いんでしょうか?」
「一機の強さは、たいしたことはない。生身の人間にとっては恐ろしい驚異だが、ライドギアを用いれば討伐も難しくないだろう。ただ、数が多いので持久戦になるだろう。この街に朝はないから、ルインフレームが現れ続ける。そこが厄介な所だ……そろそろライドギアを召喚しようか」
ブロスに促され、メイルはスペリオールラグーンを召喚した。
それに続いてインフェルノを召喚するブロス。ダロネアの上空に飛翔するふたり。
ダロネアの街では防護壁に反乱軍の人員が配置され、結界を設置する作業にかかっている。巨大な魔石を防護壁に打ち込み、石に呪文を刻んでいる。全て手動なので、あれでは時間がかかるだろう。
ダロネアの夜空に流星が無数に流れるなか、上空から巨大な機械兵が現れる。
ルインフレームの群れだった。
「あれですね」
メイルは星の降り注ぐ空域へ、スペリオールラグーンを疾駆させた。
ブロスは既にさらに上の空域で戦闘を始めていた。連続攻撃をルインフレームに浴びせて、数機を大破させている。強い。
だが、空を飛翔してきたルインフレームの数が多すぎる。
メイルはルインフレームの軍勢がブロスを取り囲む前に、広範囲攻撃を浴びせようと攻撃呪文を唱えた。スペリオールラグーンの動力炉に白光が収束される。
「光柱《エンリ》!!」
白い光の柱はブロスのインフェルノすれすれに発射され、周囲のルインフレーム数十機を巻き込んで蒸発させた。
今夜は持久戦になるだろう。エネルギーの消耗が激しいエンリの乱発はできない。
メイルはブロスのように近接戦に持ち込もうと、無数のルインフレームに向けて夜空を飛翔した。
「ブロスさん、私の呪文は消耗が激しいので、乱発するとオーバーヒートで動けなくなります。なので私も近接戦で戦います」
「まて! キミの呪文の威力は先ほど見た。この数だ、広範囲攻撃のほうが効率がいい。私が近接戦で連続攻撃を見舞いながら、ルインフレームを一極にひきつける、ひきつけたところで呪文を放て。私の合図で私のいる方角へ向けて撃てるか?」
「わかりました。でも危なくなったら、私も近接戦に切り替えて援護に向かいます」
ブロスは自身が囮になりルインフレームの軍勢をひきつけ、メイルから引き離した。メイルは海域に下降してくるルインフレームを、スペリオールラグーンの爪撃で各個撃破する。
「爆炎《アグニ》」
ブロスの駆るインフェルノが呪文を放つ。
インフェルノの持つ竜騎士の槍でルインフレームに連続攻撃を叩き込み、大群を引きつける間にも数機を大破させていた。
ルインフレームの残骸が、メイルのスペリオールラグーンの傍を通り抜けて海に落ちてゆく。
ビームサーベルを装備したルインフレームがインフェルノを囲み、インフェルノの動力炉に向けて斬撃を浴びせる。
ブロスは数機の攻撃を紙一重でかわしたが、今夜は流星郡。ルインフレームの力は強化され、動きもいつもと比べて俊敏だった。
夜明けのないダロネアで続く戦闘は、消耗していくエネルギーとルインフレームの軍勢との持久戦になってくる。ブロスは既に数十機のルインフレームを大破させていたが、夜空から絶え間なく下降してくるルインフレームの勢いは衰えない。
「いまだ、撃て!」
ブロスがルインフレームの軍勢をひきつけ、メイルに広範囲攻撃であるエンリを放たせた。
軍勢が一瞬で蒸発する。ブロスは余裕のできた空域で一息ついた。
メイルもほっと胸をなでおろす。
「む、あれは──見たことのないタイプの、ルインフレームだが──」
ビームサーベルタイプではないルインフレームが夜空から降下してきた。ブロスが目を凝らしているうちに、ルインフレームが攻撃態勢に入る。
装備が違う。持っていたのは荷電粒子の魔術砲だった。
「まずい」
ブロスはとっさにインフェルノに魔術シールドを展開させた。
しかし強化ルインフレームから放たれた荷電粒子の魔術砲が、インフェルノを機体をかすめる。粒子の当たった装甲が丸ごと持っていかれた。
同時に、強化ルインフレームからの魔術ライフルの連射。インフェルノは負傷し体制を崩す。
「ブロスさん!」
メイルは目前のルインフレームにスペリオールラグーンの爪撃を見舞いながら、負傷したブロスに叫んだ。
ブロスはインフェルノを攻撃態勢に切り替え、竜騎士の槍で、強化ルインフレームに連続攻撃を浴びせた。だが強化ルインフレームは、装備も今までのルインフレームとは違い、頑強で、撃破させるまでに手間取る。
「強化ルインフレームの群れだ、こいつら組織だって行動しているのか…? 警戒しろメイル。修復《ニアン》!」
ブロスが修復呪文を唱えると、インフェルノの装甲が魔力粒子を発して瞬く間に修復されてゆく。ブロスは先ほどしたように、強化ルインフレームの軍勢を自身を囮にしてひきつけてゆく。
だが今度は相手が悪い。善戦していたものの、一瞬の隙を突かれて、敵に囲まれてしまった。ブロスより下の空域で、複数のルインフレームを相手にしていたメイルは反応が遅れる。
放たれた荷電粒子の魔術砲がインフェルノに直撃した。感電したように動作をとめるインフェルノ。
「くっ! よりによって今止まるか!!?」
「ブロスさん、今行きます!」
メイルはブロスのいる空域に飛翔した。
強化ルインフレームの巣窟。近接戦でダメージを負わせるものの、インフェルノほど近接戦に特化していないスペリオールラグーンは防戦一方だった。
背後で魔術ライフルを構える強化ルインフレームが、メイルに向けて光線を射撃した。魔術ライフルの散弾がスペリオールラグーンの機体にめり込む。装甲が破損し、搭乗席に着弾の衝撃が走る。
「あぁっ!」
メイルが悲鳴をあげた。
「馬鹿者! なぜ上に来た! キミでは無理だ」
インフェルノが、負傷した機体をおして援護に駆動しようとしたが、四方を敵に囲まれ動きを阻まれる。完全にルインフレームの軍勢に囲まれたブロスは、舌打ちをしてメイルに通信で呼びかけた。
「止む終えん、メイル、そこから私に向けて呪文を放て! この至近距離なら軍勢でも一撃で消滅させられるはずだ」
「だ、駄目です! ブロスさんに当たってしまいます!」
「一発なら凌げる。早く撃て! キミも背後を囲まれているぞ! 強化ルインフレームが、キミの元へ向かう前に早く呪文を! 躊躇うな!」
ブロスがもどかしげに、メイルを叱咤した。
「だめです……できません、ブロスさんまで死んでしまうかもしれません!」
ブロスは諦めたかのように、ため息をつくと、メイルに向かって呼びかけた。
「大丈夫だメイル。私は死んだりしない」
メイルを安心させるための──決死の覚悟で見せた笑顔が、通信で搭乗席に映った。
「──っ」
メイルの胸に、痛みとは違う何かがよぎる。
「うぅっ、こんなとき、ジムダルだったら……!? ジムダル、私はどうしたら──!」
ブロスが、はっとした表情で、メイルに叫んだ。
「そうだ! ジムダルの指輪だメイル! ライドギアは搭乗者の生体反応と呪文に反応して動く。君の持っているジムダルの心臓の入ったシリンダーは、ジムダルの生体反応を擬似的に発信している。ドラゴがジムダルのライドギアを扱えるようにするためのものだったんだ」
「ジムダルの、ライドギアを──!?」
「今、ジムダルのシリンダーと、ジムダルの指輪を持っている君は、ジムダルの操るシャマシュを召喚できる! シャマシュは太陽神のライドギアだろう! ルインフレームは太陽光を嫌う、ジムダルの指輪を使うんだ!」
メイルは祈るように、スペリオールラグーンに保管していた、ジムダルの心臓が入ったシリンダーを抱きしめた。
ジムダルの琥珀の指輪を、左手の薬指にはめる。メイルの中に、優しいジムダルの記憶が蘇った。
「ジムダル、死んじゃったのに、こんなことしてごめんなさい。でも、今はブロスさんの命が大事なんです──力を貸してください! 我が呼び声に応えよ、シャマシュ!!!」
スペリオールラグーンに代わり、シャマシュの機体に召喚が切り替わる。
メイルはジムダルがドラゴ将軍との戦いで使っていた技を思い出し、呪文を叫ぶ。
「光閃《アルム》!!」
メイルが攻撃呪文を口にした瞬間、アカーシャの光線が乱れ撃たれた。ブロスのいる軌道を除いて。アカーシャの乱閃はブロスを取り囲んだ強化ルインフレームを各個撃破した。
「なんて威力だ……」
ブロスは驚きの滲む声音で言った。メイルはアカーシャの乱閃を広い空域に放ち、一気に軍勢を消滅させる。エドゥアルドの太陽神の名を冠したシャマシュの呪文は、凄まじい威力だった。
◇
突如、ライドギアの操縦席に反乱軍からの通信が入る。
アイ・ウィンドウに映ったのは、長い銀髪の美しい少女だった。見た目とは裏腹に芯の通った声で、二人に呼びかける。
『はじめまして、ブロスにメイル。私は黎月将ルナ。警護の話はエヴァン博士に聞いています。ダロネアのために戦ってくれてありがとう。結界の設置は無事に終わりました。ダロネアの上空にルインフレームが嫌う強力な太陽光線の古代魔術を召喚する呪文を、防護壁に刻み込んだんです。これで街に侵入されることはないでしょう』
「よかった…」
メイルは安堵して、黎月将ルナの通信に応えた。ブロスも安心したように頷いた。
『あなた方が上空で戦ってくれたお陰で、作業中の被害も、街への被害も、ゼロです。本当にありがとう! 二人とも街に降りてきてどうぞ休んで下さい。夜都ダロネアと、反乱軍ナイトシェイドは、あなた方を歓迎します』
ルナの弾んだ声が通信に響く。二人はダロネアの街に降り立つと、指輪にライドギアを収納した。
「お帰りなさい。待っていましたよ。ダロネアの為に戦ってくれて本当にありがとう。お陰であれだけのルインフレームを前にして、被害もなく済みました。喜ばしいことです。反乱軍のメンバーも、あなたたちの戦いを見ていたので、これからはきつく当たらないはずです。ミステリオ!」
反乱軍ナイトシェイドの長を務める黎月将ルナは、肌もあらわな鎧に身を包んだ、美しい女性だった。ルナは、メイルに平手を食らわせた反乱軍の兵士に、じとりとした視線を向けた。
「うっ……わかりましたよ……さっきは悪かったな嬢ちゃん。俺は獣月将のミステリオ。おまえら本当に強えんだな、びっくりしたよ。もうエドゥアルド人とか言わねえからよ」
ミステリオは、メイルとブロスに向かって、親しみを込めて握手した。
「えへへ……私こそ、ルインフレームを知らなかったとか、無配慮なことを言ってしまってごめんなさい。実際に戦ってみて、恐ろしい存在だってわかりました。でも、またルインフレームが現れたら私がやっつけます」
メイルは、ミステリオに深々頭を下げ、ふんすと鼻息を荒くして言った。
「ふふ、仲良くしてくださいね。二人とも、エヴァンさんのところに滞在されるのですか? 竜の爪亭に、食事を用意させていますので、入浴などもしてゆっくり休んで下さいね。またルインフレームの攻撃が激化したら、街の警護をお願いするかも知れませんが、それまでは街で自由に過ごして下さい」
「ありがとうございます。……ところでルナさん、このあたりに、お花がたくさん咲いてある場所はありますか?」
「残念ですが、ダロネアは夜の街なので、太陽光で育つ花は咲かないんです。この辺りは、モンスターの出る山道にしか野草もない状態で……。庭仕事を得意としている人もいなくて、庭園などもないんです。花が欲しいのですかメイル?」
「はい、実は……」
メイルはルナに事情を話した。
ジムダルという庭師の老人と暮らしていたこと。ジムダルが死んでしまったこと。ドラゴ将軍と戦って負け、ブロスに助けられたこと。両親を助け出したものの、わずかな団欒の後に亡くなってしまったこと。
メイルはルナの優しい雰囲気に包まれて、緊張の糸が切れたのか、気づくと涙ぐんでいた。
ルナは、メイルを優しく抱きしめて続けた。
「そうですかメイル。ここにたどり着くまで大変だったのですね──、でもダロネアは安全ですよ。ウィツィロトが来ても、私たちが追い返します。ここにいる者たちは、あなたに生贄を迫りもしません。私達はその世界を正すために戦っているのですから。今日はゆっくり休んでくださいね。それと花のことですが──」
ルナはダロネアの裏地にある朽ちた教会にメイルを連れて行って、群生している小さな花に指を差した。
「ダロネアには太陽光で育つ花はないのですが、月光で育つ花はいくつか知っています。あれなどはどうでしょう? 月光花というんですよ。それに、この教会を管理する人間がいなくて、現在この土地の所有者になっている竜の爪亭の店主さんも困っていたそうです。メイルがここを、花いっぱいの花園にしてくれませんか? メイルが育てた花ならば、ジムダルや、ご両親も、喜ぶと思いますよ」
「私、ここで花を育てていいんですか? 迷惑ではありませんか?」
「迷惑ではありませんよ。竜の爪亭の店主さんの許可はもうとりましたから。ここが花園になって、花がたくさん咲いたら、私にも見せてくださいね」
ルナはそういうと、にっこり微笑んで、反乱軍の駐屯地に戻っていった。
「ルナさんは、とても優しい人ですね。こんなによくしてくれるなんて」
「そうだな。反乱軍のリーダーだけあって、優しく思いやりがある。人望もあるだろうな」
ブロスも頷いて応えた。二人は朽ちた教会の、月のよく見える場所にジムダルのシリンダーとジムダルの指輪を埋め、ヴァラッドとセムの形見の指輪も埋めた。
墓石にジムダル、ヴァラッド、セムの名前を刻む。
そして、教会に咲いていた月光花を手向ける。メイルが手放さずに持っていた、セムと一緒に摘んだ、小さな花束も。
「ジムダル、シャマシュの力でブロスさんを助けてくれてありがとう。お父さんも、お母さんも、たくさん優しくしてくれてありがとう。これからこの場所を、ジムダルと過ごした花園みたいに、お花でいっぱいにできたらいいなあって思っています。月の光で咲く、ジムダルも知らないお花かもしれませんよ。楽しみに見ていてくださいね」
メイルはそういうと、墓石に手を合わせた。
ブロスもメイルの横に立ち、手を合わせている。メイルはブロスの横顔を眺めたが、今まで慌ただしかったので、初めてまともにプロスの顔を見た気がした。
「どうした、メイル?」
ブロスがメイルの様子を不思議に思ったのか、メイルの顔を覗き込む。
「いえ、なんだか不思議だなあって。ブロスさんとは会って数日しか経ってないのに、なんだかずっと一緒にいるみたいだなって錯覚していました。ブロスさんが信頼出来る人だっていうのは、今までの関わりや、自分を囮にする戦い方でよくわかったつもりでしたが……見ていてやひやしましたけれど──」
「先ほどの戦闘、私が危なくなったとき、強化ルインフレームの群れに突っ込んできたときは驚いたが、勇気があるな。キミは信頼できるライダーのようだ」
ブロスは微笑んで、片腕を差し出した。メイルに握手を求めているらしい。
メイルは小さな手を伸ばしてブロスの手を握った。大きくて温かい手で、メイルはなんだかくすぐったい気分になった。
「誰かの為に戦うって、暖かいことなんですね。こんな気持ちは初めてです。もっと、人のために何かがしたいって思いました。私──ジムダルにいつも言われていたことがあるんです。心のなかに花があるって。その花は誰かのために戦う黄金の意思で咲くって」
「ほう……?」
「はい。さっき、ブロスさんと一緒に戦っていたとき、窮地に陥って、ブロスさんが自分を撃てといって笑ったときに、自分の窮地でも相手のために微笑むことの出来るブロスさんを見て、ブロスさんの心にも花があるんだなって、なんだかブロスさんの心に中にある花を分けてもらった気持ちになったんです」
「自分では、よくわからんがね」
ブロスが照れたように言葉を濁した。
「その花は、誰かのために戦う意思で咲いて、その花弁はどんな苦しみや悲しみも消してしまうそうなんです。その花が咲く場所は本当にあるんだって、ジムダルはいっていました。私の夢は、そこに行って日向ぼっこすることなんです」
メイルが、微笑んでブロスに言った。
「君が笑った顔は初めて見たな。それにしても……その話は面白いが、あまり他言はしないほうがいい。君は自分自身のこともよくわかっていないようだからな」
「どういうことでしょう?」
「君──、つまり封珠の御子は、魔力を抑制する、強力な封魔の血が流れている。ゆえに、その身にいろいろな存在を封印しているんだ。その一つがエドゥアルドの神・ノヴァエラ。ノヴァエラは植物の姿をして、人の心に生息する。ジムダルは、花で君の意識を満たすことで、君の心を守ろうとしていたんだな。だから、もう一つの君の中に封印されているものについては何も言っていないのだと思う。君が『それ』を知覚して、意識した瞬間から、君の心が二分されてしまうからな……」
ブロスが言葉を濁す。メイルが不安な表情を浮かべて訊いた。
「それは……お母さんが言っていた、私の中に封印されている古の魔神の分体のことですか……?」
ブロスがうなずく。
「君は、これから人に何を言われても、その心の花だけを思うんだ。絶望して意思をなくしたり、怒りで我を忘れたりしないように。私は、君の中の『それ』が顕現しないように、君の心を全力で守ると誓おう。──君は信頼できる戦士《ライダー》だからな」
「戦士《ライダー》ですか……私がそう名乗っても、おかしくないでしょうか?」
「おかしくないさ。街を一つ護ったんだ。自信を持ちたまえ。君は立派な戦士《ライダー》だよ」
メイルは自分の中に出来た言葉を、一字一句確かめるように呟いた。そこにメイルの人生における「本物」のきざしが感じられたからだ。
「私も、君と一緒に戦うことで、長らく忘れていた「人の為に戦う」という気持ちを思いだしたよ。私にとっても、君との出会いは幸運だった。ありがとうメイル」
「こちらこそ、ブロスさん」
親子ほど体格差のある二人は、ダロネアの夜空に浮かぶ大きな満月の下、大きな掌と小さな掌を、再び硬く結ばせた。