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IN FLAMES – 炎と灰の追憶 – - 8

第08話 世界の裏側

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 統都ラガシュは、食料や物資の生産・国防・エネルギー供給を独立して行う、外交を必要としない完全環境都市である。外界を隔絶し、都市内で気象を操作できるよう、都市全体をキューブ型の外界遮蔽構造体が覆っている。

 統都ラガシュを形作る、巨大な建造物には階層があった。

 エネルギーの生産・供給を行う、第0層。
 食料や物資の生産を行う、第1~3層。
 市民の住まう市街地である、第4~7層。
 市民IDを剥奪された者が収容される第、8~9層。

 そして。存在を秘匿された、第10層。

 統都ラガシュの善良な市民は、第10層の存在、そこで何が行われているかお知らないまま、市街地で生活している。

 ブロスは、デバイスでの情報収集の際。第8~9層のサーバーから接続されているデータベースにアスセスすることが多かった。第8~9層に収容された、市民IDを剥奪された者の編集した情報なので、多くの嘘やゴシップも含まれるといわれているものだ。

『統都ラガシュの猟犬部隊は、デバイスの精神干渉が薄い・免除されているのではなく、元々統都ラガシュのマザーコンピュータからの精神干渉を受け付けない体質の人間が集められる』

『そして危険な前線に駆り出されて戦わされ、彼らは統都ラガシュにとっての不穏分子になる前に、戦場で死ぬ。前線に配属されるので、革命軍の『蠱』に寄生されやすく、人格的性質が反転し、多くが死に至る』

 セムが眠って明かりの消えた静かな部屋で。ブロスはデバイスをネットワークに繋ぐ。そして眠気がやってくるまでと、デバイス画面の情報を眺めて遷移させていた。

 たまたま見ていたデータベースに、猟犬部隊の情報が記載されていた。ブロスの、デバイスの画面をスクロールする手が止まる。

(この書き込みは、第8~9階層のネットワークとデバイスから更新されている)
(ここは、市民IDのない者が収容される階層だが。IDがないままだったら、セムはここに収容されるかもしれなかったんだよな……)

 ブロスの隣にある、安心するぬくもり。気持ちよさそうに眠るセムを見て、ブロスの胸が傷んだ。

『脳がマザーコンピュータの干渉を受け付けない人間だと判明した場合、家族に通知が行く。「第10階層に収容されるか、統都ラガシュ国王軍 猟犬部隊への配属、どちらかを選べ」と』

「家族に……?」

 ブロスは、家族、という単語を見て。父親の厳格な顔が浮かび、暗澹たる気分になった。ブロスの父も、そのような通知を、統都ラガシュから受けたというのか?

『第10階層で行われているのは、非道な人体実験』
『人体実験を行っているのは、統都ラガシュ軍部、軍部を統括する軍家一族である』

 ブロスはそこでデータベースの画面を閉じ、デバイスを待機画面に戻した。

 軍家の人間といえば──軍家出身のアリィ隊長の顔しか思い浮かばない。ブロスは真偽の分からない情報により、気分が悪くなっていた。

 隣で眠るセムを起こさないように、ブロスはベッドから起き上がる。ベッド脇の棚に置かれた、タンブラーに入った冷たい水を飲んだ。

「──眠れないの?」

 隣で眠っていたはずのセムが、目を閉じたまま、ブロスに訊いた。起きていたらしい。

「……データベース見てたの? ブロスがよく見てるデータベースって、怖いこと書いてあるよね。ボクも、市民IDのことが明るみになったら、ここじゃない階層に収容されるのかなって、不安になったことがあるよ」

 ブロスは黙って、セムの頭を撫でた。

「お前はあんまり、そういうのは見ないほうがいいぞ。気持ちが落ち込むからな」

「──猟犬部隊の噂は、ボクも知ってるよ。ブロスってやっぱり、この街の人たちと少し違うよね。他の人達は、デバイスの精神干渉を受けてるから機械的に模範解答を話すけど、ブロスはそうじゃないもん。ボクは林檎の水耕栽培の仕事で、市民の人達と話してて、改めてそう思った」

「そっか。林檎、育てるの大変じゃねえか? 職場ではうまくやれてんのかよ」

「うん。植物も生き物だからね。皆、デバイスで精神を管理されてるから優しいよ。悪感情はデバイスに矯正されるみたいだから、職場いじめとかもないしね。ボクはデバイスの干渉を受けてないから、自分の言葉で誰かを傷つけないように気をつけてるんだ」

「セムは優しいな」
「えへへ」

 ブロスは、もぞもぞと近寄ってくるセムを抱きしめて、微睡みのなか眠った。

「ベイって、夜は忙しいのか? デバイスからチャットを送っても、その場では応答しないこと多いよな。次の日には返してくれるけど」

 訓練の予定時刻よりだいぶより早く、猟犬部隊のベース基地にやってきたベイとブロス。2人は、ソファに向かい合って座り話していた。近代的な意匠のベース基地。ミーティング室のような作りで、水分補給用のウォーターサーバーや、タブレットやパソコンなどの端末機器備え付けられている。

 ベイは猟犬部隊の訓練開始時間より早くやってきて、ここのタブレットから宅配業者に注文したピザを食べてから模擬訓練に挑むのが日課のようだった。熱いチーズが伸びる、クリスピーピザを頬張るベイ。ブロスはベイに、夜間のベイの状況について、何気なく訪ねた。

「僕の叔父が、第8階層にいてね。叔父の趣味の手伝いっていうか、データベースの管理人をやってるんだ。だから、夜はこの市民階層のネットワークから外れてて、応答できないんだよ。すぐに応答できなくてごめんね。急ぎの用だった?」

「いや、それは全然いいんだけどよ。第8階層のデータベースって、有名なのだと『The Other Side of the World(世界の裏側)』ってやつ? 俺もよく見てるんだけど」

「ほんと? ブロスって結構、マニアックなもの見てるんだね。僕が更新してるデータベースだよ」

「ベイって結構、ブラックな記事書くんだな」

「ブラックというかね──本当のことさ。僕の叔父は統都ラガシュの官僚だったんだけどね。そこで知った真実を市民に話そうとした罪で、IDを剥奪されて、第8階層に収容されたんだ」

 ベイが、一呼吸置いて続けた。

「家族から引き離されて、寂しかったんだろうね。で、ネットの知識に詳しい甥の僕に、真実を記録してほしいって──第8階層は、市民IDがあれば入れるから。夜の間だけ、叔父の趣味を手伝ってるんだ」

 ベイの別側面を見た気がしたが、同時に納得もしていた。ベイは、持っている知識が多岐にわたって深く、教養もあった。元はいいところの嫡子だったような育ちの良さも感じる。猟犬部隊の噂を信じるならば、ベイは、デバイスの精神干渉が行き届かないところで、深い思考をしているように見える。

「ブロスは、あれをみて、どう思ったの?」
「どう、って。怖かったよ、統都ラガシュって都市が」

 ベイは真剣な表情で、ブロスの顔を見つめた。

「怖い、か。たしかにそうだね。僕がデバイスの精神干渉を受けない体質だって知った時、家族は『息子を第10層に収容させるか、猟犬部隊に配属させるか』って選択を迫られる通知が届いたっていってた。士官学校に入れるか、入れないかの年齢の時だね。本当は本人に告げちゃあダメなんだけど、僕の両親、正直だったから」

「俺も、皆も、猟犬部隊の隊員は、そういう体質なのか」
「そう。流れに身を任せていたら、僕らは死ぬだけだよ。前線で勇敢に戦ったってことにされて殉職だ。だから僕は、どうせ死ぬなら、真実に触れて死にたいんだ」

 ブロスは、普段にこやかなベイがそのような思いを抱えていたことに内心では驚いたが、でも自分の人生を決めているという意味では正しいとも思った。

「アリィ隊長って、一見いい人そうに見えるけど──僕はあの人が一番、心に闇を抱えていると思ってるよ。僕らの動向を、軍部や軍家に報告するのが義務の人だからね。君が匿ってる封魔の御子を庇ったのも、なにか裏がある気がしてるんだよな…」

「おい、まて。なんでそのこと知ってんだよ」

 ベイは、率直に応えた。

「この市民階層には、『耳《クリッター》』と呼ばれる情報屋がいるんだよ。僕は『耳』を何人か雇っていて、この階層では、僕に隠し事はそうできないと思うよ。だからこそ、叔父は、僕を使いたいと思ったんだろうけどね」

「お前は、なにを、どうしたくて、そういうことをしているんだ?」

「この街は色々なものが隠されているけど、真実を知る権利は誰にだってあるだろ? 僕はなんでも、真実が欲しいんだ。それを知るためだったらなんでもするよ」

「真実か……俺は、親父に死んでほしいと思われてたから、家を追い出されて、士官学校に入れられたんだと思ってたんだ。何が真実だかよくわかんねえよ」

 ブロスが、声を引き絞るようにして言った。

「君の実家は、詠人の学者一族だったね。ごめん。猟犬部隊の隊員のことはあらかじめ全部『耳』たちに調べてもらってるんだ。そうじゃないと、嘘をつかれることだってあるだろ? そう思うと、安心して関われない質なんだ」

「そうか。それについては何も言わねえよ」

「君のお父さんは、息子である君が、第10階層に収容されて、実験の被検体になるという選択はしなかった、ってことが真実だと思うよ。でも猟犬部隊に配属されるという選択をしても、君の死期が伸びるってだけの、結果の先伸ばしなんだけどね」

 ブロスは複雑な表情をしている。

「俺の親も、お前の親も、子どものために戦ってはくれなかったんだな」

「そんなもんだと思うよ。だって統都ラガシュに逆らったら。バグとみなされて、マザーコンピュータから存在記録を抹消、統都ラガシュの全階層から認識されなくなるんだから」

「なんだ、それ……」

「そのまんまの意味さ。全ての階層の全デバイスに認識されない・存在できないなら、都市のどの階層でも生きていけない。デバイス頼りで生きてきた人間に、統都ラガシュの外で生きろっていうのも無理な話だよ。そもそも、外界遮蔽構造体で覆われた都市の外に出られるのか?て話でさ、それこそ統都ラガシュを憎んで破壊しようとする革命軍になるしかないんじゃないかな」

「それだと意図的に、デバイスを使って判断力に欠ける人間を作って、都市が操ってるみたいじゃねえか」

「統治のために、そういう側面はあると思うよ。そもそもがね。この統都ラガシュって都自体が、第10階層で行われている人体実験によって作られている、巨大な幽世ノ陣《レグナント》なんじゃないかって可能性がある」

「まじかよ」

「完全環境都市なんて、現実の文明水準では不可能だと僕は考えてる。だが誰かの強い想いを、魔術で実体化したものだったら、文明水準に関係なく、現実に存在させることができる」

「それで統都ラガシュが、巨大な幽世ノ陣《レグナント》だって? 人が住める幽世ノ陣《レグナント》なんて存在するのか?」

「実体化させる精神力が尽きない限りは、幽世ノ陣《レグナント》の召喚は可能だよ。表向きには存在しないと言われてる、第10階層には、デバイスの精神干渉を受け付けない、強い意志を持てる者だけが収容される」

「なんか、理由があるのか?」

「強い意志を持てる人間ほど、強力な幽世ノ陣《レグナント》を作れるから。第10階層に収容された者たちが、人体実験で何をされているのかまでは、僕にもわからない。この都市の機密情報みたいで『耳』にも情報が入ってこないんだ」 

 ベイは、早口でそう喋り終えると、コーラを一気にあおった。ブロスはベイの話を訊いて、なかば信じられない気持ちになり、無言になっていた。

「ブロスは、どうするんだい? このまま猟犬部隊で戦って殉職するまで、封魔の御子──セムちゃんと一緒にいられたら幸せかい? 君が亡くなったあと、セムちゃんを一人にすることになっても? 僕は君が真実を知ってどうするのか、凄く興味があるよ。僕に協力できることなら、協力したいって思うしね。同期になったのも縁だし、君とは話が合うし──」

「俺は──」

 ブロスが言い淀んでいると、ベイと2人きりだったベース基地に、音もなく、レリムが入ってきた。小柄で可愛らしい彼女だが、表情は深刻だった。

「あーあ、もう! オタク君たちが、なーんか深刻な話してるぅ。そういうのって俗にいう、陰謀論ってやつでしょ? 世界には黒幕が、系の!」

「レリム。君、話きいてたんだろ? 同じ猟犬部隊の君は、どう思うんだい」

 ベイが、臆面もなくレリムに訊く。レリムは物怖じせずに、応えた。

「私はァ! 孤児で家族が居なかったからァ! どうせ死ぬのなら、すっごく優しくて格好いい彼氏とイチャイチャして、この世の春を謳歌してから殉職したい!! つまりヴァラッド副隊長を彼氏にして、恋人らしいことを全部するの!! 最高でしょ!」

「潔いほど単純明快で、よくわかった。俺もレリムの思想に賛同する」

 ブロスが感動した面持ちで、拍手している。

「おっ、通じるブロスじゃん! だいたいね! 人間時間を持て余すと、ろくなこと考えないんだから、頭ハッピーにしとかないと、ベイとかブロスみたいなむやみに深刻にものを考える根暗君になっちゃうわけ! でも、ま、同じ境遇の仲間に冷たくするほど、私の性根は落ちぶれちゃいないので、桃剥いてあげたから、はじっこあげる。元気だしなよ、オタク君たち。いずれ死ぬまで、仲良くやろう!」

 レリムはそういうと、ブロスとベイが座るソファの正面に桃が切り分けて並べられたお皿を置いた。レリムが剥いてくれたらしい。レリムも、ブロスとベイが座るソファに腰掛けると、一緒に桃を頬張った。

 模擬訓練や出撃を終え、ブロスはベース基地の屋上で煙草をふかそうと、屋上への階段を登っていた。セムは煙草を吸わないので、家の中で喫煙するのは気が引けたからだ。屋上を隔てるドアは時々鍵が閉まっているので、ブロスは軍施設を利用する際に使うカードキーをポケットから出して、ロックを開けようとしたが、扉はすでに空いていた。

 見晴らしのいい屋上の、柵のギリギリに、見慣れた後ろ姿の女性が膝を抱えて座り、遠くを見ていた。

「アリィ隊長? 珍しいっすね。どうしたんすか? 具合でも悪いとか……」

 ブロスは、煙草を吸っていいかとジェスチャーでアリィ隊長に尋ねると、アリィ隊長が頷く。

「ブロスくん。セムとうまくいってるんだね。以前の、イライラしたとこが全然なくなって、穏やかな君に戻ったみたいで、いい感じだよ。──私にも、煙草一本くれる?」

「いいですけど。アリィ隊長、煙草吸うんすね」

 ブロスは、煙草とライターをアリィ隊長に手渡す。アリィ隊長はおぼつかない手つきで煙草に火をつけると、煙草を吸い、思い切りむせて咳き込んでいた。

「実は吸えないの、こほっ」

「なんでまたそんなことを……」

 アリィ隊長はそれには黙ったまま、屋上から見える統都ラガシュの夜景を眺めていた。

「明かり。付いてない家、結構あるね。私も落ち込むと、電気消して寝ちゃうからわかる」

 アリィ隊長がポツリと呟いた。

「なんか悩み事あるんですか? 訊きますよ。アリィ隊長にはセムのことでたくさん助けてもらったから──」

「いいんだよ。そんなことは気にしなくて。私、むかしセムに酷いことしちゃったから、あのくらいしないと気が済まないの」

「ひどいことって? アリィ隊長が? 想像つかないっすね」

「ブロスくんにとっては、面白くない話かもしれないよ」

 ブロスは、突然出てきたセムの話題に、興味がわかないかと言えば嘘になる。

「いや、セムのことなら訊きたいですけど。アリィ隊長と、セムと、ヴァラッドは幼馴染だったんすよね。何歳くらいから仲良かったんすか?」

 ブロスが、煙草の煙をくゆらせながら、アリィ隊長に尋ねた。

「ヴァラッドが14歳。私も14歳。セムは7歳だったかな。セムが牢屋から脱走して、わたしたちと遊ぶようになったのは。その頃から可愛かったよ、セムは。私とヴァラッドにとって無邪気な妹みたいな存在だったね」

 アリィ隊長が、昔を懐かしむように話しだした。

「ヴァラッドの初恋って、セムだと思うの。空気でわかる」

「えっ。セムそんとき7歳でしょ。すげえ妖艶な7歳だったんすか」

「やんちゃっ子だったねセムは。ヴァラッドには、切実な事情があったから」

 切実な事情と訊いて、ブロスが興味深い顔になった。

「ヴァラッドは、千里眼の『デウスの眼』の影響で、未来視・過去視の情報が常に意識に流れ込むの。子供の頃は、すごく──苦しんでた。苦しんでるのは、今もだけど──。でも封魔の御子のセムの魔術中和能力で、セムがそばにいると、その意識障害も中和されて、混濁した意識ががクリアになって、自分が自分で居られるんだって言ってた。だから、ヴァラッドにとって、セムは安堵と幸福をもたらしてくれる小さな天使だったんだよ」

「ヴァラッドって、いつも酒飲んでるけど。あれって、それを緩和させるためのものなんすか」

「そう。未来視・過去視の能力を酩酊させて中和する魔術酒。あれがないと、ヴァラッドは自分の意志が持てないの」

「それめちゃくちゃ大変じゃないすか……なのにいつもあんな柔和な態度で周りに気を配れるとかすげえな……」

「ほんとにね。彼は、ほんとによくやってると思う。そんなヴァラッドが心の救いにしてたセムを、私は……ヴァラッドから取り上げちゃったんだ」

 アリィ隊長の声の最後のほうは、涙声だった。

「ヴァラッドは、牢屋ぐらしだったセムにギターを教えたり、セムにいいことがあるようにって、四葉のクローバーの指輪を指にはめてあげたりして、彼に懐いて甘えるセムをすごく可愛がってた」

 ブロスは、ヴァラッドの事を喋るセムの優しい表情を思い出して、胸がざわついた。

「多分、セムもヴァラッドが好きだったんでしょうね」

 ブロスが率直な感想を言った。

「そうだね。でも私はそれが不安だったの。私のほうが先に、ヴァラッドを好きになったのにって。それでまだ小さかったセムに言っちゃったの。『ヴァラッドを取らないで。私のほうが先に好きになったのに!』って」

「あちゃあ……それでセムは?」

 アリィ隊長が、いたたまれない表情をしている。

「『アリィ、ごめんね』って、セム泣いてた。次の日、ハサミで、可愛かった長い髪をめちゃくちゃに切って、自分のことを『ボク』っていうようになってた。『ボクは恋とか興味ないから』ってヴァラッドを避けるようになっちゃったの。でもヴァラッドは「髪、整えてあげるからおいで」って、ヴァラッドを避けようとするセムに変わらず優しくしてた。それで私──いずれセムが大きくなったら、ヴァラッドが取られちゃうと思って──」

「それで──どうしたんすか?」

「封魔の御子が外に逃げ出してるって、警備の人間に匿名で告げ口したの。セムは厳重になった警備で牢から抜け出すことができなくなって、それっきり」

「──セムは、牢屋で看守のクソ野郎に強姦されてたんですよ。多分、年頃になってから、何年もずっと。俺はアリィ隊長のその判断については同情できないかな。セムはそれが今もトラウマみたいだし」

 アリィの双眸から涙がこぼれた。

「それを……私が……命じたの。お金も渡して、軍家の人間として警備の人間に。そうすれば、セムは二度とヴァラッドに……近づけないと……思って。ヴァラッドはずっと、セムを牢から助けようとしてたから……」

 ブロスの顔から表情が消えていた。次に浮かんだのは激しい怒り。ブロスはアリィ隊長の白い頬に平手を食らわせていた。

「最低だよ。あんた──セムがそれ知ったら、どんな気持ちになるか考えたことあるのかよ──あんたのことセムは信じてるのに。なんで俺にそんなこと話したんすか。まさか今のセムの幸せも許せないんすか。あんたになんの権利があって、セムを苦しめたんだよ!」

 ブロスの言葉には怒りが込められていた。アリィ隊長は赤くなった頬をそのままに、うなだれる。

「……セムのこと、大事にしてくれてる君に話して、正しい態度で、ストレートに裁かれたかったの。ヴァラッドは、デウスの眼──千里眼で、全部知ってる。でも、私のこと、責めなかった。ヴァラッドはね、私に幼馴染としての情はあっても、これっぽっちも愛してなんかいないんだ。当然だよね。愛せるわけがないよ。こんな酷い人間──」

 アリィ隊長の双眸から、光が消えている。

「俺は慰めませんよ。アリィ隊長がセムのためにしてくれたことはありがたいって思ってるけど、でも、それ以上にひどすぎる。セムの人格も、身体もめちゃくちゃにさせて、心に消えない傷を植え付けて──あんたを少しの間でも、いい人だと思っていた俺がまぬけ野郎だった」

「うん。それが正しい態度だよ。セムのこと大切にしてね。私が彼女に今更なにをしても、全部、嘘になっちゃうから」

「……じゃあ。俺は帰るんで」

 ブロスが煙草を消して、携帯灰皿に吸い殻を入れると、ぶっきらぼうに言う。

「ブロスくん」

「まだ、なんかあるんすか」

「ううん。なんでもない。呼んでみただけ」

「間違っても、そこから飛び降りんでくださいよ。あんたみたいのでも、死んだら悲しむやつだっているんだ。ヴァラッドや、セムとか」

「そうだといいけど。ブロスくんは私がいなくなったら、悲しんでくれる?」

「どうかな」 

 ブロスの言葉は冷たかった。アリィ隊長のことを何処かで優しい姉のような存在に感じていただけに、アリィ隊長がセムにしていたことを知ってショックを受けていた。

「一時間前の俺だったら──泣いて数ヶ月は引きずったと思いますけど」

 アリィ隊長が、日の暮れた屋上で冷たい風を浴びながら、寂しそうに笑った。

「……ごめん。やっぱりブロスくんに、言いたいことがある。もし、もしね、私がいなくなることがあったら、ブロスくんに猟犬部隊の隊長になってほしいの」

 ブロスが怪訝な顔になった。

「なんで、俺? 最年長のヴェルドや、副隊長のヴァラッドだっているでしょうに。そもそもなんで、アリィ隊長がいなくなること前提なんすか……」

 ブロスが呆れたように、ため息をつく。

「いろいろとあってね。──君が部隊で一番、猟犬って感じだから。真っ直ぐな君なら、いろんなしがらみを、変えられるんじゃないかと思って。セムの件で、君が優しくて面倒見が良いのがわかっちゃったから、私の役割を押し付けたくなっちゃったの」

「……俺、猟犬部隊の連中がどういう意図で集められたのか知ってますよ。俺たちはデバイスの干渉を行けつけない体質の、統都ラガシュにとって反乱分子になりうる存在だから、死ぬために猟犬部隊に集められたんすよね。アリィ隊長はそれを監視して、軍の上層部に報告している。アリィ隊長は……どっち側の人間なんすか? 上層部の犬なのか、俺たちと同じ野良犬か」

「私は……上層部の犬にもなれない、軍家の落ちこぼれだよ。私も、デバイスの干渉を受け付けなかったから猟犬部隊に配属されて……でも生まれは軍家の人間だから、君たちの監視をしている。でも、そんなことしてたら、君たちと本当の仲間にはなれないよね」

「……」

「君に、私の後任を任せたいって、いいたかっただけ。ブロスくんは、セムがお家で待ってるでしょ。早く帰ってあげて。セムって、ああみえて、すごく寂しがりやだから」

「……知ってますよ」

 ブロスは、妙に立ち去りづらい気持ちになりながら、アリィ隊長に応えた。なんでか、アリィ隊長と話すのが、これで最後になりそうな予感がしたのだ。

「アリィ隊長が、俺にそういうなら。俺も、アリィ隊長に言いたいことがありますよ」

「うん? なに?」

 アリィ隊長が不思議そうな顔をして、ブロスを見た。

「あんたがセムにしたことは許されないけど、セムの世界の大事な人間だから、勝手にいなくならないでくださいよ。セムが悲しむんで。俺はセムに、もうそういう類の気持ちにはなってほしくないから。俺はあんたが上層部の回し者でも、恋敵を陥れる陰湿な女子でも──なんでもいいよ。ただ、猟犬部隊の隊長だって思ってるから、うまくいえねえけど、職務を放棄しないでくださいよ、部隊の皆も困るんで」

 アリィ隊長が、たどたどしく話すブロスに目を細めて、微笑む。

「ブロスくんは……優しいね。大丈夫。私、ずっと猟犬部隊の隊長でいるから。ブロスくんももうSNSで炎上して身元特定とかされちゃダメだよ。君のそばにはセムもいるんだから、ちゃんと守ってあげるんだよ。君にはそれができると思うから」

 ブロスは、その言葉に「わかってますよ」と応える。小さく手をふるアリィ隊長を尻目に、踵を返して、屋上を後にした。なぜだかわからない胸を突く寂寥感と、少しの違和感を胸に抱えながら。

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