夢 幻 劇 場

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IN FLAMES – 炎と灰の追憶 – - 7

第07話 スノウメディウムの樹が咲(わら)う

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「──おいセム、起きろ。もう昼だぞ。話があるから」

 ブロスは、ブロスのベッドで気持ちよさそうに眠るセムをしばらく眺めていたが、セムの肩を掴んで、揺り起こした。

「なんだよぅ。もうお昼なんだあ」

 セムがベッドから身を起こし、ねぼけなまこを擦りながらブロスに応えた。今日は週末なので、緊急要請がない限り出撃もないだろう。ブロスはセムが起きるのを待っていたのだが、爆睡するセムは起きる気配がなく、正午を迎えて、ようやくブロスはセムを起こしたのだった。

「今後のこと」

 ブロスは、昨晩ソファに寝そべっていたが、実はそれから一睡もしないで考え事をしていた。考え事の内容はセムに関することだった。セムは大きな瞳をさらに丸くしてブロスを見ている。

「おまえ、仕事を見つけるまでここにいるっていってたよな? それまでのことなんだけど。後で揉めるのが嫌だから、いまのうちに俺とセムの間の約束事を決めておこうと思って」

「うん」

「まず、お前は《封魔の御子》だったわけだけど、元いた王宮の牢の中に戻る気はないんだよな?」

「ないよ」

 セムのはっきりした声音。

「それでいいと思う。俺も、ちゃんと人の管理もされてない、セムの尊厳を損なう場所に戻ることはねえと思うし。それでな」

「俺は軍人だから、いなくなった《封魔の御子》である、セムを探せと上に命じられてるわけ。で、俺はしらばっくれてるわけだ。でも、セムに軍内のこの官舎のあたりをうろつかれると、俺のしらばっくれが水泡に帰すから、今日はなるべくこの部屋にいてほしい」

「え? でもボク仕事を探すんだよ? 外に出ないと」

「それ。お前のやりたい仕事ってこの中だと、どれよ?」

 ブロスがデバイスに、ラガシュの求人一覧を表示させる。セムはブロスのデバイスを受け取ってしげしげとそれを眺めた。

「うんとねえ……ボク林檎が好きだからね、この《果樹水耕栽培の管理職》がいいな」

 ブロスが貸せ、といってデバイスを受け取ると、その場で求人情報を確認した。

「やべえ。そういや、セムの住所がいるのか。セムの住民IDも。電話番号というと、デバイスもか──住所はとりあえずここにして、セムのIDは、そーいうのに詳しいヴァラッドならなんとかできるかな……デバイスはブラックマーケットで識別番号がないやつを買うか……」

「ボク、ちゃんと仕事につけるのかな」

セムの声音には不安が滲んでいた。

「……仕事についたら、軍に見つかる可能性が高くなるだろうな。本気でやりたいなら、理由つけてマスクなんかで顔を隠していけよ」

「わかった」

「あとは……猟犬部隊にいるヴァラッドに相談しよう。ヴァラッドに話すなら、アリィ隊長にも事情を説明しないとな」

「……ヴァラッドって? ヴァラッド皇子? アリィって、軍家のアリィオーシュ?」

 セムの表情が変わる。ブロスが怪訝な顔をした。

「なんだ、二人を知ってんのかよセム? 皇子? アリィ隊長は、たしかに軍家の出身で、俺の上官だよ」

「ヴァラッドとアリィは幼馴染だったんだ。ボクが牢屋を抜け出したとき、外でよく遊んでた……抜け出したことがバレて、警備が厳重になって以來、ずっと会ってないけど」

 そういってセムは、出会ったときから大事そうに持っていたアコースティックギターをブロスに見せた。

「これ、ヴァラッドのギターで、ヴァラッドがボクにくれたんだ。この子の音色は、牢獄生活で、だいぶボクの心を救ってくれたよ」

 セムが昔を懐かしむような温かい表情をみせた。ブロスはセムの様子にも、発言にも驚く。

「そうだったのか。でもそれなら、話は早い。ヴァラッドとアリィ隊長がセムの幼馴染だったんなら、そう簡単にセムを軍の上層部に渡したりしないと思うし、相談しやすいな」

 その時、ブロスの部屋のインターホンが鳴り、ドアがノックされた。ブロスがセムとの会話を中断して玄関のドアを開けると、感情の読めない表情をしたヴェルドが立っていた。

「休日にすまんな。単刀直入に言うが、封魔の御子が見つからない。お前、なにか知ってないか?」

 ヴェルドは、セムと少し会話しただけで、『お前が、本物の封魔の御子だったりしてな』と冗談(には聞こえなかったが)を言った。ブロスはそのことを思い出して少し警戒しながら応えた。

「何も知りませんよ」

「お前といた少年──のふりをしたやつが、封魔の御子だったんじゃないのか?」

「そう言われても、もうあいつとは関わりがないし」

「お前は嘘をつくのが絶望的に下手くそだな。悪いが、部屋を調べさせてもらうぞ」

「えっ! 困るよ、おいヴェルド!!」

 問答無用で部屋を調べようとするヴェルドを力づくで制止するブロス。だが、部屋の奥から首を覗かせて様子を伺っているセムと、ヴェルドの目が合ってしまった。セムはヴェルドを見て驚き、部屋の影に慌てて頭を引っ込めたが、時すでに遅しだった。

「──やはりな。一緒に来てもらうぞ。封魔の御子もだ」

 ブロスはヴェルドに腕を締め上げられ、セムと共に猟犬部隊のベース基地に連れて行かれた。

 猟犬部隊のベース基地には、アリィ隊長とヴァラッドがいた。ヴェルドは2人に事情を話すと、後方の椅子に腰掛けて腕を組んでる。

「……?」

 ブロスは、ヴェルドはもう上層部に報告したと思っていたので、ここに猟犬部隊の身内だけしかいないことに違和感を覚えたが、渋々アリィ隊長に事情を打ち明け、セムのことについて助力を求めた。

 アリィ隊長は神妙な表情をしている。

「ブロスくん。私を信頼して正直に打ち明けてくれたのは嬉しいけど、私には、軍家と上層部に対する、報告義務があるの。ブロスくんの問題行動を見逃してたときとは、ことの重要度がちがうっていうのは、わかってる?」

 ブロスの相談を受けたアリィ隊長が、真面目な顔でいった。ヴァラッドは事情をきくなり、ヴァラッドはパソコンを起動してデスクに座り、キーボードを叩いている。

「でも、セムが牢獄にもどったら、一生牢屋に閉じ込められるんすよ。巷に出回ってる情報だと、封魔の御子は、妊娠適齢期になったら、どうでもいい野郎をあてがわれて、子どもを産まされて、今度はその子どもが、魔神を封印し続けるために、次の封魔の御子になるんだって話もあるじゃないすか。セムが──幼馴染がそんな目に遭って、平気なんすかアリィ隊長は。俺、昨日会ったばっかだけど、セムがそんな目に遭うのは嫌ですよ」

 ブロスは臆面もなく、はっきりとアリィ隊長に告げた。

「……うん。だからね。悩んでる」

 葛藤しつつも、アリィ隊長の判断は傾きつつあった。幼馴染であるセムのために、軍機違反を犯す方向に。ブロスの横には、出会った時の黒ずくめの格好に帽子を被った、ボーイッシュなセムがいる。セムはアリィ隊長とヴァラッドを交互にみやり、申し訳無さそうな顔をしている。

「ブロス、アリィを困らせるのはやめよう。ボクたち子供のままってわけにはいかないし、アリィにだって仕事の立場があるよ。ごめんね、アリィにヴァラッド。ありがとう。ボクのことはいいから──」

 セムは申し訳無さそうにヴァラッドとアリィ隊長に頭を下げる。デスクから立ち上がったヴァラッドは、優しい表情でセムに話しかけた。

「ほら──セムのID。殉職してIDを破棄されてしばらく経った猟犬部隊の元隊員がいてな、IDの記録は死んでもラガシュのマザーコンピュータに残り続けるから、そのあたりの情報を少しだけいじらせてもらった。その元隊員の、事情があっていままでIDを取得しそこねていた身内って設定にしてあるから、いま詳細な情報を渡すよ」

 ヴァラッドは、セムの住民としての情報をプリントしてセムに渡す。発覚したら厳重な処罰確定なことを、ためらいなくセムのために行っている。ブロスは驚いた。

「──!? えっ。俺たちを処罰するために、呼んだんじゃないのか?」

「違うよ。ヴェルドがお前の様子を見に行ったのは、お前を心配してだ。軍の上層部には何も言ってないよ」

 ヴァラッドの言葉に、後方の椅子に座っているヴェルドが頷いた。

「先に、隊長やヴァラッドに相談してよかったろう? この問題を、お前一人で抱え込むのは無理があると思うぞ」

 ヴェルドが静かに応える。だが、ヴェルドがブロスやセムに向ける視線は優しいものだった。

「ヴェルド──ありがとう! でもいいのか? ヴェルドは職務に忠実な人間だと思ってた」

「妻子を亡くしてからは……そうでもない。職務に忠実すぎたから──大事なものを失ったかもしれないと考えている。俺が軍機違反を犯してでも、その場に駆けつけていれば、とな」

「……」

 ブロスが言葉に詰まる。苦渋の決断を迫られた経験があったのだと思うと、かける言葉がとっさに出てこなかった。

「湿っぽいことを言ってしまってすまない。話を続けてくれ」

「そんなことねえよ。ありがとう、ヴェルド」

 ヴェルドはブロスの言葉を受け、少しだけ微笑んだ。その様子を見ていたヴァラッドが、ブロスとヴェルドの会話の終わりを確認すると、セムに話しかけた。

「IDのことでなにか聞かれたら、この情報を答えろよ。データ上、そうなってるから」

 プリントされた個人情報を確かめるセムに、ヴァラッドはある種の情念を感じさせる優しいまなざしを向けていた。ブロスはその様子見て、家でヴァラッドにもらったギターのことを似たような表情で話していたセムを思い出していた。

 ブロスの心が、なぜだかざわついた。

「いいのかヴァラッド──それに、ここのパソコン使ったら、足がつかねえか?」

「俺が使ったのは王族しかアスセスできない統都ラガシュの管理者権限のパスだから、誰もおれがやったって内容の確認はできないよ。できるとしたら、ラガシュの元首である親父くらいのもんだな」

 ブロスは、セムがヴァラッドのことをヴァラッド皇子と呼んでいたのを思い出した。

「ヴァラッドって、元首の息子なのか? つまりラガシュの皇子じゃねえか」

 ヴァラッドが複雑な表情で、曖昧に微笑んだ。

「いや。おれは王位継承権を返上してるから、もうそういう感じでもない。でもその立場をまだ活かせるなら、セムを助けられると思って」

 次の瞬間、セムはヴァラッドに抱きついていた。ブロスが目を見開く。

「ありがとう──ヴァラッド!! そういう優しいところ、昔とぜんぜんかわってないね。今は顎におひげを生やしているけど!」

「ああこれ。おれはなんか同性から見ると押しが弱く見えるらしくて、圧をかけられるから、少しでも貫禄が欲しくてね。やっぱ似合ってはないかな」

 ヴァラッドがそう言って、曖昧な微笑みで自分の無精髭を撫でた。

「そんなことないよ。はじめ見た時ちょっとびっくりしたけど」

「そうかそうか」

 ヴァラッドは抱きついてきたセムを拒むでもなく、親しげな笑顔で応える。セムは足を宙でパタパタさせながら、背の高いヴァラッドの首に腕を回してぶら下がっている。その親密な様子を目の当たりにして、表情と挙動が固まっているブロス。

 ヴァラッドとセムの親密な様子を見るなり、表情筋がしんでしまったブロスをみて、アリィ隊長がブロスの心を察したように、フォローを入れた。

「あ、違うんだよ。ブロスくん、安心して。セムはね、私とヴァラッドにとって、かわいい妹のような存在だったんだよ。昔からこういう感じで、セムは私にもいっぱいハグしてくれたんだよねえ」

 アリィ隊長が昔を懐かしむように、セムにむかって微笑みかけていうと、セムはヴァラッドから離れ、アリィ隊長に駆け寄り、今度は彼女に勢いよく抱きついた。

「アリィにまた会えて、ボク嬉しい! アリィはむかしから綺麗だけど、もっと綺麗になっててドキドキしちゃった、ヴァラッドとお似合いのカップルだね!」

 セムはそう言ってアリィ隊長とヴァラッドにあたたかい眼差しを向けてニコニコしている。アリィ隊長とヴァラッドは少し気まずそうな顔をして、ブロスに白状した。

「ごめん。部隊の一部には隠してたけど、おれとアリィ、もう長いこと付き合ってるんだよ。部隊には秘密でな。仕事に差し障るとよくないから。ヴェルドには話したんだけど……」

 口の硬そうなヴェルドが頷いて見せる。

「そうなのか、わかった。俺も秘密にしておく。ヴァラッドに惚れてるレリムが知ったら発狂してチームワークに支障が出そうだもんな」

 ブロスはそういいながら、ヴァラッドとアリィ隊長が恋人同士だという事実に安堵していた。

 セムがヴァラッドのことを話すときのあたたかい表情。ヴァラッドがセムに向ける、心のなかの特別な感情が滲むような優しいまなざし。

 ブロスの胸に、なぜだか去来したであろう一抹の不安を、女性の勘の良さから感じ取ったアリィ隊長は、ブロスに微笑んだ。

「ふふ。ブロスくんてば、露骨にうろたえちゃって──かわいいとこあるよねえ」 「うん。セムを助けて匿ってくれたブロスになら、セムを安心して任せられるな」

 ヴァラッドとアリィ隊長が、ブロスの胸の奥にあるであろう感情を肯定して、顔を見合わせてほほえみ合っていた。2人の間の空気に長い付き合いであろう親密さがにじんでいる。

「勘違いしてないすか、アリィ隊長も、ヴァラッドも。俺はセムのこと助けたいとは思ってるけど、セム公のことなんて全く意識していませんよ。セムはセムという珍現象ですよ」

 ブロスがそっぽを向いて、憎まれ口を叩く。

「なんだと! 珍現象とはなんだね! 珍現象とは!」 「おう、なんだプンスコして。やんのか、セム公」

 セムを雑に挑発するブロス。セムは「シュシュシュ!デュクシ!」といってブロスの腹部にへっぽこジャブを放つが、自分で拳を痛めて「ヌアアァァ」と呻きながら奇妙な動きをしていた。その行動におかしみと、可愛いものをついいじめたくなるような衝動をもよおしたブロスは、セムの顔面に容赦なく、アイアンクローを放った。

「ウアーッ! やめろぅ!!」

 セムの情けない声。顔や頬をブロスの細長い指で押さえつけられ、セムはお世辞にも美的とは言えない表情を晒している。「こういったね、セムという存在があまりにも哀れなのでね、俺はいつもそばにいて、セムの傷口をそっと広げて、ていねいに塩を塗り込んでやりたいと思ってる」「そんなサイコパスやだぁーーー!」「ピンク岩塩ならええやろ」「ピンク岩塩でもやだぁーーー!」ブロスはセムの反応を面白がってからかい、おかしそうにケタケタと笑っていた。

(ブロスくんて──セムのこと好きだよね。愛情表現の仕方が小3男子みたいだけど) (自覚なさそうなのが、またブロスらしいよ)

 アリィ隊長とヴァラッドが2人に悟られないように顔を近づけて小声で話し、ブロスとセムのやりとりを眺めて笑っている。

 アリィ隊長は、調査を命じられた封魔の御子の捜索に関する報告書に『封魔の御子の確保に失敗し、《最果ての岬》での戦闘のすえに、封魔の御子は消息不明に。彼女に封印された魔神の影響はみられず、彼女は所持を義務付けられている冥薬草の薬《自死の薬》で岬に落下する直前に命を断ち、自身に封じられた魔神の開放を防いだと考察できる』と自身の見解も交え記述したものを、上層部と軍家に提出したと話した。

「《最果ての岬》は禁地で、遺体の確認もしようがないから。こうするしかないね。セム、これから大変かもしれないけど、頑張るんだよ。私も応援してるからね」

 アリィ隊長はそういうと、デスクに置かれたアルコール度数の高い、ヴァラッドの酒をラッパ飲みした。

「アリィ隊長──! ありがとうございます!!」

 ブロスはアリィ隊長に深々頭を下げた。

「はは、バレたら首が吹っ飛んじゃうや。隊長じゃいられなくなっちゃうかも。でも、セムの幸せのためだ!!」

 アリィ隊長がわははと笑った。セムはブロスをはじめとしアリィ隊長やヴァラッドやヴェルドの優しさに触れて、なんども頭を下げて涙ぐんでいた。

「ブロス、アリィ、ヴァラッド、ヴェルドさん、ボクのためにここまでしてくれて、ボク絶対、この恩に報いることをするから──本当にありがとう」

 ブロスはセムの頭をわしゃわしゃと撫でた。

「わふっ」 「別に皆、セムに恩を返してほしくてやってるわけじゃねーと思うぞ」 「ううっありがとう!! ボク今までの人生で一番感動してる!!」 「セムさんは、ほんとうに悲しい人生を歩まれてきたんですね……」

 セムをいじろうとするブロス。セムは無言で、ブロスの腹部にボスっと頭突きをする。

「いてえなこのやろう! あとはセム公のデバイスを調達しないとな」 「そうだねえ。ブラックマーケットなら識別番号のないデバイスが手に入るかも、ブロスくん、セムのこと、よろしく頼んだよ! あとね、ちょっといい?」

 アリィ隊長が、至近距離でブロスに耳打ちした。

「──セムはね、本人も意識してないけど、自己犠牲的なところがあるの。だから、ブロスくんがセムを助けることで、見返りとして、セムの気持ちとか身体とかを無理やり求めて傷つけることは絶対にやめてね。セムは助けてくれた君に気を遣って、自分の気持ちを無視しても、応えちゃう感じの子だから」

 アリィ隊長の目は真剣だった。ブロスはその想いを汲み取って静かに応えた。

「セムが望まない限り、俺からどうこうなろうとはしませんよ。約束します。アリィ隊長や、ヴァラッドにとっても、セムが大事な幼馴染だっていうのはわかるから」

「ありがとねブロスくん。セムは君といると楽しそうだし、脈はあると思うよ。頑張って!」

 アリィ隊長が、ブロスの背を軽く叩いた。

「は、はあ」

 ブロスは、買い物のために市街地に行くぞとセムに声をかけると、セムはブロスの後ろをトコトコとついていく。アリィ隊長とヴァラッドとヴェルドはその様子を見守っていた。猟犬部隊のベース基地を出ると、セムがブロスの脇をつついた。

「ブロス、さっきアリィと秘密のお話してたけど、何話してたのさ? やけにくっついちゃってさ」

 セムがなぜだか、唇を尖らせながら訊いてきた。

「おまえ愛されてんなあって話だよ。他人のためにここまでしてくれる人間ってめったにいねえんだぞ。俺もそういう愛情には縁がなかったしな」

 ブロスの正直な感想だった。

「ボクすごく嬉しいよ。アリィとヴァラッドに再会できたこともだけど、ヴェルドさんにも、ブロスには特に助けてもらったから。ボクこうみえても、ブロスには、スゴクカンシャシテルンデスヨ…アリガトウ…ゴザイマス」

 セムが照れているのか白い頬を赤くして呪文のように感謝を述べていた。

「おう。お前は照れるとカタコトになるのか? かなしき珍現象セム」 「うーッ!! ボクは真面目にいってるのにッ!!」

 ブロスは照れ隠しにそう言うと、威嚇してくるセムを連れてブラックマーケットのある市街地へ向かった。

 統都ラガシュに出回る商品には、全てシリアルナンバーが記されている。不良品による事故の背景を明らかにし、市民に安全な品物を供給させるための国が定めた処置だった。

ブラックマーケットは、違法ではないのだが、個人が作ったシリアルナンバーのないハンドメイド品や、衣類、食品、植物、精神への干渉ないデバイスなどが出回っており、市民の中にはそういった品物に温かみを感じ好む者もいるので、廃れないという市場だった。

 ただ、シリアル番号が付与されないという特性から危険な品物も出回っているとの噂もあり、そこで『ブラックマーケット』と呼ばれていた。

「ありがとうブロス。これがボクのデバイスかあ。ボクがお仕事についてお賃金をもらったら代金は必ず返すからね」

「いいって。これもなんかの縁だしな。ほら、他にセムの生活に必要なもんもあるだろ? 見てこうぜ」

 セムはさっそく手元のデバイスを起動させると、管理AIに『スノウ』という名前をつけた。スノウが『我々は叡智の結晶であり、あなたの知性を現すものであり、いかなる質問に応える用意があります』と応えた。セムはブロスに聞こえないように小声で尋ねる。

「あの、今日つかった金額を記録してくれる? ブロスにちゃんと返したいから」

『了解しました』

 セムとブロスは、セムの生活に必要なものを買うために広大なマーケットを巡る。セムは独特なプリントが施された衣類を好むので、横で見ていたブロスが口を挟む。

「いや、それもいいと思うけどよ。可愛い服も似合うんじゃねえか? それとか」 「これかい? このワンピースは可愛いすぎて、大雑把なボクには似合わないんじゃないかな……こういう、おもしろいのがいいかな」

 セムは、『まえ』『うしろ』と、裏表にでかでかと書かれた男物の大きなシャツを手に取っている。ブロスはセムのセンスを目の当たりにして頭を抱えた。セムの片手には『麺と和解せよ』と書かれた衣類も握られている。

「いや、いいんだけどよ。そーいうのが好きなんですね。セムさんは」 「うん! これがいい!!」

 2人がマーケットを巡っていると、植物のエリアにさしかかる。珍しい植物を売っている露天だった。

「異国の植物はいかがですか? みたところ、彼女さんの新生活のお買い物ですかね?」

 セムの荷物を抱えたブロスを見て、店員らしき、褐色肌にショートヘアの女性が声をかけた。

「ええまあ。彼女じゃないですけどね。セム、おまえ熱心に見てるけども、植物ちゃんと育てられんのかよ? 毎日世話しないといけねーんだぞ」

「ボクだって、日々に楽しみがほしいんですう」

 セムが口をとがらせて、小さな苗木や多肉植物を眺めていた。

「お二人にぴったりな植物がございますよ。スノウメディウムというのですが」

 店員が持ってきた小さな苗木は、白い樹木に可愛い葉をつけた観葉植物だった。

「こちら、どんな環境でも育つ、丈夫な植物なんですよ。だた、ある条件下でしか花が咲かないので、育成は少し難しいかもしれません」

「へえ。その、ある条件下って?」

 セムが興味を示し、大きな目をさらに丸くした。 

「スノウメディウムにはある伝承があり、『愛のある場所にしか咲かない』と言われているのです。育成は難しいですが、きれいな白藍の花を咲かせますよ。お二人で育ててみてはいかがでしょう?」

「店員さんは、みたことがあるんだ!」

「ええ。愛情深い母がスノウメディウムの花を咲かせているのを見ました。とてもいい香りで、可愛らしい花が咲きますよ。こちらの苗木は母のスノウメディウムから株分けしたものなんです」

「すごーい!! ねえねえブロス、ボクも、スノウメディウムを買ってもいいかな」 「いいけど、枯らすなよ。その苗木も大事なものなんだろうし」 「うん!!」

 セムが嬉しそうに、スノウメディウムの小さな苗木を抱えた。

「お二人の生活に多くの幸がありますように──あ、エコウ義兄さん。どうしました?」

 店の奥で植物の手入れをしていた店主と見られる男性がやってきて、スノウメディウムの育成に必要な液体肥料の説明をセムにしている。

「毎日の世話と、こちらを定期的に与えれば、枯らす可能性はぐっと減りますよ。それから──」

 褐色肌に黒髪の長髪を肩に垂らした、異国情緒溢れる装いの店主は、静かだが丁寧な言葉遣いで、手入れに必要な品を、サービスだといってセムに渡していた。

「このスノウメディウムは、わたしや義妹が気に入ったお客さんにしか売らないことにしているんです。私達にとって家族の遺した植物であるので──できれば、大事に育てて、花を咲かせてほしい。植物とともに、心地よい日々を」

 店主はそういって、セムとブロスにほほえむと、セムにスノウメディウムの育成に必要なもの一式を渡した。

「ありがとう。そんなに大事な苗木を売ってくれて──ボク、大事に育てますね」

 セムはそういって、店主と店員の義兄妹に深々頭を下げた。店員の女性が、セムになにかを耳打ちして話している。セムはその言葉を聞いて、頬を染めていた。

「あの店員の姉ちゃん、なんて?」

 ブロスが、店員の女性がセムに告げた言葉が気になって、セムに尋ねた。

「えっ。それは──ひみつだよ。スノウメディウムの花が咲いたらブロスにも教えてあげるね」

 セムはなぜだか照れながら、ブロスに応えた。

「なんだよ、じゃあちゃんと咲かせろよ。珍しい花なら、俺も見てみたいし」

 普段あけっぴろげなセムが教えるのを渋ったので、ブロスはそのことを意外に思いながら、夕暮れのマーケットをセムとともに歩いた。

 数日後、セムは希望していた『果樹水耕栽培の管理職』のアルバイトとして雇ってもらうことが出来た。小さな施設での水耕植物の管理で、セムは仕事から戻ってくると楽しそうに覚えたことなどをブロスに話した。

「これ、今日職場で貰ったんだあ。ボクが育てた林檎だよ。一緒に食べようよ。規格外で出荷できないけどきれいな林檎をいっぱいもらったからね、アリィとヴァラッドとヴェルドさんにも持って行ってほしいんだけど、いい?」

「いいよ。セムが育てた林檎なら、猟犬部隊の皆も喜ぶよ」

 ブロスは、セムが育てたという林檎をナイフで切り分け、セムの好きなうさぎの細工を施しながら、セムに応えた。

 セムは家に帰ってくると、セムのセンスによる不思議な服を着て、スノウメディウムの苗木の手入れを行い、職場で貰った水耕栽培のマニュアルを熱心に読んで勉強していた。

 ブロスの帰宅時には、官舎のまわりに住み着いている地域猫『またじろう』のそばにしゃがみこんで、餌をあげているセムの姿が確認でき、それが日課になるとブロスはその光景に安心感を覚えるようになった。休日の昼間はセムの爪弾くギターでセムの歌を聴き、ブロスの謎の頭痛もだいぶ緩和された。

「セム。前にいってた、約束事の話の続きなんだけど」 「あ、うん。前にヴェルドさんが来て、途中になってたやつだね」

 セムはソファに寝そべりながら水耕栽培のマニュアルを読んでいたが、起き上がってブロスに向き直り、ブロスの顔を見た。

「俺はセムに、ずっとここにいてほしいと思ってる」

 ブロスが続けた。

「セムがそれでよかったらだけど」 「ボク、これからも──ブロスのそばにいてもいいの?」 「俺はセムと一緒に暮らせて、楽しいと思ってるよ」

 ブロスとセムは、共同生活を始めてから、生活費と家事の負担を分担して行い、休日は2人で買い物に行き、忙しい平日に簡単に食べられる作り置きの料理を一緒に作ったり、平日の食事当番を交代制にしたり、分担して家の掃除をしたりと、協力して暮らしていた。セムの提案で、おやつ棚を設置し、日頃から2人の好物を切らさないように補充し合うという協定も決め、セムはとても喜んでいた。

「ボクも、ブロスとの暮らしは楽しいよ。でも、ボクがいるとブロスの負担が大きくならないかな。ブロス、結局、ボクに使ってくれたお金は、返すっていっても受け取ってくんなかったし」

「俺がしたくてしてんだからいいんだよ。それに、セムがどういう人間かもわかってきたしな」

 セムが緊張した面差しになった。

「それはどういうことだろう」

「信頼できるってこと。だから、セムに嫌な思いはしてほしくないから、夜の官舎のあたりとか、結構治安も悪いから、夜の九時以降は一人で外に出るなよ。あと、初めて会ったときにしたみたいに、自分を軽く扱うような事も絶対に外ではやるな。セムの誘いに乗る奴の方が多いと思うから」

 セムはうつむいて、ポツリと呟いた。

「ボク……ほんとうは……好きじゃない男の人とするのがずっと怖くて嫌だったんだ。もっというと、もう誰ともしたくないよ。だからなんでブロスにもあんなことしちゃったんだろうって後悔してたんだ。ブロスはボクが知ってる男の人とは全然違うのに、ああしないと追い出されちゃうと思っちゃったんだよ」

「あのときのセムの行動は、セム自身を軽く扱うという意味で究極にアホだと思ったが、まあ気持ちは理解するよ。それに、そんなんを、お前が受け入れられなかったのは当たり前だよ。看守がセムに行ってたことは、愛情表現でもなんでもねえ、ただの暴力だ。だから自分からそういうことは二度とやるなよ」

ブロスの声音はかぎりなく優しかった。その心がセムに届いたのか、セムは正直な気持ちを弱々しい声で吐露する。

「ボク、本当に、怖くて嫌で悲しかったんだよ……痛いやめてって言ってもやめてくれなくて……終わると自分が汚い存在に思えて、自己嫌悪で死にたくなってた……頭にこびりついて、思い出すたびに、心臓に酸を浴びせられてるみたいに」

 ずっとうつむいていたセムの双眸から、ポロポロと大粒の涙が落ちた。セムの吐き出した言葉は、ブロスの心に刃物のように刺さった。ブロスはセムの背を優しく撫でて、泣きじゃくるセムの嗚咽をだまって訊いていた。

「もうそんなことにはならねえから……俺が絶対にさせない。だから自分の本心に嘘ついて、自分自身を軽く扱ったり、自分の傷を見ないように擦れっからしたことをいうのも、もうやめとけよ。悲しいときは俺にそう言えばいいから。セムの気持ちが楽になるまで何度でも聞くよ。セムが苦しんでると俺も悲しいから」

セムが泣きじゃくりながら、弱々しく頷く。

「もうバレバレだと思うから白状するけど、俺は、セムが大好きだからな。セムの気持ちも大事だから、別に俺と一緒にはならなくてもいいけど、セムには不安の予感もしないようなゆるい世界で、楽しく暮らしててほしいんだよ」

「ブロスは、なんで──なんで、そんなに、ボクなんかに優しくしてくれるの? ブロスから見て、異性としてのいいところなんて、ボクにはなんにも残ってないのに」

 セムが大粒の涙を瞳に滲ませながら、ブロスを見た。

「好きだから、だ、つってんだろ。それに、ボクなんかとか言うんじゃねえよ、俺は大事に思ってんだから。俺にとっては、いいところしかねーよ、むしろ」

 ブロスはセムの頭を乱暴に撫でた。

「ブロスは、その。ボクのどのあたりが好きなんだい?」

「全部。っていったらおかしいかもしれないけど、セムのどこがどうだから好きっていうのじゃねえ気がすんだよな、でもセムといると俺は本来の俺でいられて、統都ラガシュのかくあるべきで社会化されてない、俺自身の形にもどれると思ってるし、それは得難いことなんだと思う。この感覚が、セムにも通じるのかはわからんが」

「そう思ってくれて、うれしいな。ボクも、ブロスがそばにいると、正直なほんとうのボクでいられると思ってるから。ボクの形を照らしてくれる、月と一緒にいるみたいに。ブロスに、抱きついてもいい?」

「存分に抱きつきなさい。前にヴァラッドにしてたのより、濃厚な抱きつき方で頼むよ」 「もしかして気にしてたのかい?」 「俺は嫉妬深いもんでな」

 セムがブロスに飛びついて身体を預けると、ブロスは思い切りセムを抱きしめた。

「ぐえぇ」

 ブロスの力が強すぎたのが、ブロスの鼓動が直に感じる距離にいることへの照れ隠しなのか、セムがまぬけに呻いた。

「色気のないセム公だね。『ボクも大好き』とか言えねえのかなあ、この珍獣は」

 セムがブロスの温かい胸に顔を埋めながら、ポソポソと言葉を紡いだ。

「あのね──スノウメディウムの花って《真実の愛》っていうんだって。ボクも、ブロスとずっと一緒にいることで、スノウメディウムの花が咲けばいいなって思ってるよ」 

「愛の花もいいけど、俺はセムの気持ちを直に感じたいんで、もっと感情的に言ってくれるか。俺の心の奥まで届くように」

「ボクも大好きだよ──ブロスのぜんぶが。ブロスといると、心にあったかい火が灯ったみたい。だからうれしい、ブロスがそばにいてくれて」

 そういってしがみついてくるセムを、強い力で抱き返すと、ブロスはうれしそうにほほえむ。

「うん。俺の心の奥には、セムでしか満たせない特別な安らぎの居場所があると思う」

セムはブロスのまっすぐな言葉と、優しい表情を見てうれしくなり、無邪気で愛らしい笑顔を浮かべて、ブロスに寄り添った。

 2人はお互いに身を寄せ合いながら、月が綺麗に見える部屋で眠った。ブロスはセムを慮ってなにもしなかったが、ベッドの枕元にあるスノウメディウムは、2人の愛情に反応して優しく咲(わら)うかのように、小さな白藍(しらあい)の花を咲かせていた。

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