「でも、偽物だってすぐバレちゃうな。でもま、ボクの顔知ってる人のほうが少ないから」
セムはぺろりと小さな舌を出して、悪戯に笑う。

「封魔の御子と交わると、大体の魔術障害は中和されて消えるんだってさ。ボクは数日分の宿代を身体で支払う、ブロスは頭痛と耳鳴りが綺麗に治る。これはいい取引じゃないかな? あっ」
バスタオルを床に落とすセム。
「おい、隠せ!!」
ブロスが赤面し、バスタオルで身体を隠すようにと促す。
「ブロス、女の子の裸みたことないの? どうせ裸になるんだからいいじゃんか。ブロスも脱ぎなよ、ほら」
セムは裸のままブロスの服を引っ張った。
「しねえよバカ!! 何だお前、痴女か!? そういうのは好きなもん同士がするんだよ!! まさか美人局か? 妙な真似する気なら、出てってもらうぞ!!」
急にセムの顔から表情が消える。その変化にブロスはたじろいだ。
「好きなもの同士でやるとか、理想の話だろ? ボクは牢屋で看守にやられてたから全然わかんないなそういうの。なんでもないことだから、誰も助けてくれなかったんだと思うよ。それか、魔神を封印してるっていうボクには人権がないと判断されたか」
ブロスの目の前にゆっくり歩いてきたセムが、裸のまま言った。
「……すまん。たしかに幸せなやつだけがすることじゃないな」
「そーだよ。ボクと違う、恋愛エリートの話をされても困るよ。看守なんか、ボク大嫌いだったからね。ボクのこと奴隷かなんかだと思ってんだよ。ブロスはボクのこと助けてくれたし、看守よりは受け答えがだいぶまともだから、ブロスの頭痛が治るならそれでいいんじゃないかな」
「……すまん。ほんとうに。でも、自分の身体をモノみたいに扱うなよ」
「ボクの心にはでっかい氷の塊があるんだ。人にどうこうできない無感動で冷たい氷山がさ。中にあるボクの心の柔らかい部分を護ってるともいえるけど。その柔らかい部分だけ死守できれば他はもういいんだよ。今更大事にしたって、とうに汚れちゃってるしさ」
「お前は、それでいいのかよ……自分を粗末に扱うと、周りにも粗末に扱うやつしか寄ってこないぞ。俺みたいなどこの馬の骨ともしれないやつによ……。傷ついてないふりも、痛々しいから勘弁してくれ」
「傷の話はもういいよ、今更どうにもなんないしさ。ボクは信じるものがほしいんだ。信じるものって言ってもなんでもいいわけじゃないよ。社会化されてないやつだよ。牢獄から見える、あの月みたいにさ。あれはただの月じゃないんだよ。月を見てるときだけ社会化されてない人間に戻れるんだ。戻れなかったり、同じ意味の月が見えてる人じゃないと、話、通じないなって思う」
ブロスはセムの言葉にハッとした。そして同じことを、月に手をかざして出撃前に考えていたことを思い出した。
「自分を、照らし出して、自分自身を確認できるもの……」
ブロスが、自分の感覚をなぞるように、呟いた。
「そういうこと。なんかね。ブロスの雰囲気が、そういうのわかってくれそうな感じにみえたんだ。それで申し訳ないんだけど、ボクもノコノコついてきちゃったんだよね。イライラしてるけど、悪い人じゃなさそうだなって──」
裸で縮こまるセムが急にいじらしく感じられて、ブロスはセムに毛布を投げた。
「寝ろよ、もう。こっから月、見えるから。好きなだけ見てろよ。出てけとか言わねえからよ」
「治療は──しなくていいのかい?」
「頭痛くらい我慢できるよ。寝ろよ。疲れてんだろ。大体おまえいくつだよ。百戦錬磨の姉ちゃんみたいなこと言ってるけど、発想がネンネちゃんなんだよな」
「なんだよ! ボクをばかにすんなー!!」
「変にすれっからしたこと言わねえで、そういうのは大事にしとけってことだよ。俺だって誰でもいいわけじゃねえし、人と見るなら、おんなじ意味の月がいいよ。それに、セムの歌でもいいんだろ。だったら時々歌ってくれよ。気が向いたときでいいから」
「ブロスって、やさしいね」
セムが毛布にくるまって、目尻の涙を拭った。
「なんでちょっと泣いてんだよ。お前さてはいい子ちゃんじゃねえのか。はあ。えらいの拾っちまったと思ってドキドキして損した。寝ろよもう。あ。冷蔵庫のもんは勝手に食っていいからな。適当に買っておくから」
「なんだよ、ボクを腹ペコ虫みたいにいって!!」
セムは急に怒り出したが、セムのお腹の虫がきゅうと鳴いた。
「腹ペコ虫じゃねえかよ! 俺も何も食べてねえから腹減った。焼きそば作って食うか…」
ブロスが頭を抱えてキッチンをうろつきはじめると、全裸に頭から毛布をかぶって顔だけ出したミノムシのようなセムが、ぺたぺたと足音をたてて後ろをついてきた。その間抜けな姿に笑いが込み上げたが、口には出さずにブロスはにやっとした。
「何をニヤけてるのだね。ヤキソヴァって何どすえ? ボクの知らない食べ物ですね」
「文明人とは思えない発言をいただきましたね。麺類だよ。野菜とか肉を入れるとうまい、ソースで和えた麺、それが焼きそば。マヨネーズをかけてもうまい。マヨネーズはコレ、かけすぎると麺がネトネトになる」
「コレ、カケスギルト、ネトネトニナル。ボク、具だくさんがいいです」
なぜかカタコトでマヨネーズを手にかかげ、具だくさんを要求するセムの発言を背に。ブロスは肉と野菜を包丁で刻んで、フライパンで炒めている。
「あさましい子には、キャベツの芯をいっぱい入れてあげるね」
ブロスはセムの皿にキャベツの芯を気持ち多めに盛り付けた。
「やだぁー!! ボクは柔らかい具にマヨネーズかけてネトネトにするんだい!!」
年相応の反応を見せるようになったセムに、ブロスは焼きそばを振る舞った。セムは、いただきますと嬉しそうに言うと具だくさんの美味しそうな焼きそばにマヨネーズをねりねりとかける。それをミノムシの状態のまま美味しそうに頬張っていた(キャベツの芯もモリモリ食べていた)
頭から毛布を被り、白くて細い手足がにょろりと伸び、焼きそばを必死に頬張る姿は、なんらかの無害な妖怪なのではないかという、その姿があまりにもまぬけで、ブロスは思わず声を出して笑った。
突然笑い出したブロスに驚いてセムがむせたので、「わりい」といってポットに入った冷えた麦茶を差し出すブロス。セムは麦茶の入ったグラスに両手を添えて飲み干すと、幸せそうな顔をした。
「林檎も食うか? これもそろそろ食べないとな」
ブロスは片手に持った赤く熟した林檎を、宙に投げたり受け止めたりを繰り返しながら訊いた。
「たべる! 林檎大好き! 牢屋の外に、名もなき林檎の樹があってね。林檎は実る時期はそれを失敬して食べるのがボクの楽しみだったのだよ」
「そうか……逃げてきてよかったな。好きなだけ食えよ」
ブロスがフルーツナイフを手に取る。
「ブロスが剥いてくれるの? うさちゃん作れる?」
セムが曇りなき眼を輝かせた。
「えっ……しょうがねえなあ」
ブロスは林檎を剥くと、うさぎに見えなくもない細工を施す。
「ほらよ。う、うさぎか? コレ……」
皿に並べられた、数匹のうさぎのような林檎。
「うさちゃんだぁ!! おいちい!!! ありがとー!!」
セムが幸せそうな顔でサクサクと林檎を頬張っている。自分まで幸せだと錯覚しそうになるセムのゆるみきった表情。なんだか妙に世話を焼いてやりたくなる奴だとブロスは思った。
「そうかそうか。よかったな」
「ブロスアリガト!! ブロスイイヒト!!! ゴチソウサマ!!」
「なんでカタコトなんだよ。正気にもどれよ」
「ブロスがぶきっちょな手つきで、ボクに林檎を剥いてくれたもんで感動しちゃったんだよ」
お腹いっぱいになったのか、全身を毛布にくるんだミノムシ状態のままセムが眠りについた。おやすみ三秒もかくや、という寝付きの良さだった。疲れていたのだろう。ミノムシが床に転がっているようにしか見えないその姿に、いっときでもセムの裸にドキドキしてしまったことを恥じた。
「セムが静かになったら急に頭が痛くなってきたな……セムの声にも一応鎮痛効果があったのか」
ブロスはそうひとりごちると、セムをベッドに運んで寝かせた。ブロスは、セムの安堵しきった寝顔を見て、久々にイライラしていない自分自身に気がついた。
アリィ隊長に一日一回SNSに穏やかな投稿をしろと言われたので、ギリギリうさぎに見えなくもない、セムの食べかけの林檎の写真を撮って『捕食された林檎』と添えて投稿した。アリィ隊長からすぐにいいねがついたので、ブロスはにやりとした。
そして、硬いソファで眠った。