BAR『cage(ケージ)』から出たブロス。
ラガシュの市街地は整備された美しい景観だが、裏路地は雑然として、錆びた匂いがした。誰もいない裏路地で、なんとなくデバイスを開く。臨機応変な判断が必要になる軍人へのデバイス干渉は民間人より薄いのだが、それでも、ラガシュのマザーコンピュータに従うように意識は誘導される。
「どこまでが社会で、どこからが自分自身なのか、わかんねえな……」
ブロスはデバイスに映り込んだ自分の顔を見てそう呟くと、裏路地から広がる空に浮かんだ満月を見た。
夜空に浮かぶ蒼白い月。幼いころに好きだった、青い燐光を灯して夜空を舞う月光蝶。自分を自分だと信じられるもの、自分が心から美しいと思うもの、そういった自分の形を照らしてくれる、月のような存在があればいいのに。ブロスはそう思いながら、届かない月を掴むような仕草で、月夜に片手をかざした。
「RRRRRRRRRRRRRRRRRRR!」
そのときだった。デバイスから緊張感を煽るアラームが鳴り響く。ブロスは慌てて着信に出た。
『あっブロス!! 俺、ベイだよ! ごめんよ、皆と飲んでたんだろ? 大変なんだ、王都の王宮が革命軍に襲われて──任務の内容は通信では言えないから、地図送っといた! 救援に来てくれる? あっ、インフェルノに乗って来てよ、生身だとあぶねえから!!』
ベイは差し迫った状況なのか、そのまま通信が切れた。
「王都が革命軍の襲撃を受けた……」
ブロスはそう呟くと、市街地でライドギアを召喚する承認をデバイスに求め、許可が降りると即座にインフェルノを召喚した。
月夜に浮かぶ漆黒の機体。
ベイが送信してきた現在地にアイ・ウィンドウの自動操縦サーチを合わせると、夜空を飛翔した。
◇
ラガシュの王都・王宮前。あたりには硝煙の匂いが漂い、ライドギアによる攻撃音が響く。革命軍のライドギアと、国王軍のライドギアが苛烈な戦闘を行っていた。
ベイの操縦するテイヴァスが、巨大な瓦礫を持ち上げて王宮の周りに張られた魔術障壁に向かって投擲する。魔術障壁に跳ね返され、砕ける瓦礫。
『困ったぞ……あっ、ブロス! 来てくれたんだね! ちょっと困ったことになってて。王宮を取り囲むように魔術障壁を張られてさ。魔術障壁の内側に、魔術障壁を召喚してる機体がいる。この魔術障壁を破らないと、革命軍に攻撃できないんだ』
ベイがテイヴァスから、ブロスのインフェルノへ通信を繋ぎ、呼びかける。ヴェルドの強力な風の呪文でも、魔術障壁はびくともしなかったという。どうやら風と同属性の大気を圧縮した魔術障壁らしく、風では威力が足りないらしい。
『それで火力のあるやつが必要だと思い、出撃を要請した。非番なのにすまんな』
ベイのテイヴァスの横に待機する、ゼファーを駆るヴェルドが低い声で言った。
王宮の施設は無惨に破壊され、今も革命軍の攻撃によって石畳が紙くずのように舞っている。
『中にいる王族はすべて避難したらしいけど、地下牢には封魔の御子が……連中の狙いは封魔の御子かもしれない。魔術障壁を張ったのも、封魔の御子を確保する時間づくりのためかも……』
「ベイ。訓練の時のあれだ。インフェルノに鉱石のヒヒイロカネを纏わせて、魔術障壁に突撃して破れねえかな……。今度は炎も効くと思うし」
ベイの表情が明るくなった。
「わかった! テイヴァス、頼む!」
ベイがテイヴァスに命じると、ブロスの駆るインフェルノに黄金の鉱石が鎧のように強化されていく。
「火炎の輪舞《フレイム・ロンド》!!」
ブロスはインフェルノの槍に火炎を纏わせ、魔術障壁に向けて神速の連続攻撃を穿つ。背後でゼファーが追い風のバフ呪文をかけて、インフェルノの槍の火力を、密集する酸素を与えて威力をさらに高めてくれた。
パキキッ!! パリィイイイン!!
魔術障壁が砕ける独特な音が響く。インフェルノはそのまま、魔術障壁を破り、中にいる魔術障壁を召喚している革命軍のライドギアに炎の一閃を浴びせて大破させた。
赤い燐光を帯びながら散ってゆく魔術障壁の中には、数機の革命軍ライドギアがおり、インフェルノを確認するなり、こちらに向かってきた。それらをテイヴァスとゼファーが迎撃する。革命軍のライドギアのビームソードが火花を上げて襲ってくる。
そのとき。
インフェルノの足元に。黒ずくめの格好でギターケースを背負った痩躯の少年が、瓦礫に埋もれた王宮の中から走ってきた。白いワンピース姿の少女を抱えている。
「逃げ遅れたのか!? インフェルノ、あの二人を操縦核《ミッド・ギア》へ!!」
ブロスがインフェルノにそう命じると、インフェルノは二人の少年少女に手をかざし、ブロスのいる操縦核《ミッド・ギア》へと転送した。
「ここは──?」
突然転送された操縦核《ミッド・ギア》に戸惑う少年。ブロスが優しく声をかける。
「ここは外よりは安全だ。戦闘が終わるまで静かにしていてくれよ。魔術障壁がなければいつもの戦闘と同じ──すぐ片付ける!」
黒ずくめの少年は、気を失っている少女を腕に抱えたまま、うなずいた。
革命軍のライドギアは、ビームソードでインフェルノに斬りかかってきた。それを槍でいなし、相手の操縦核《ミッド・ギア》へ向かって槍を一突きする。革命軍のライドギアは、インフェルノによって次々大破していく。
「すごいね。お兄さん、強いんだ」
操縦核《ミッド・ギア》の後ろで戦闘を見ていた少年が、やけに落ち着いた中性的な声音でブロスに話しかけた。
「いや、俺は今まで運が良かっただけだ……自分より強いやつに当たらなかったっていう」
「ふうん」
少年は、興味があるのかないのかわからない声音で応える。ブロスは少しだけ、真意の読めない黒尽くめの少年を気味悪く思ったが、意識はすぐに戦闘に戻る。背後にいたライドギアを爆炎の呪文で大破させた。
テイヴァスとゼファーが他の革命軍のライドギア十数機を仕留めてくれたおかげで、王宮を襲った革命軍を全滅させることができた。
と思った瞬間に、崩壊した王宮の中から、革命軍の遠隔ライドギア数機が、広範囲呪文を唱える予備動作にはいっている。あれを王宮や王都全体に放たれてはまずいと思える規模のものだ。市民にも被害が出てしまう。
ブロスは即座に、自分のレグナント《幽界ノ陣》・荒廃の地獄をその場に展開させた。
レグナント《幽界ノ陣》とは、空間を切り取り、自分が幽界に思い浮かべた領域に対象を閉じ込める結界陣だ。
即座に空間が、ブロスのレグナント《幽界ノ陣》に侵食されてゆき、漆黒の空と燃え盛る炎の煉獄に様変わりしてゆく。この空間に切り取られると、現世では取り込まれた機体たちは姿を消す。神隠しに近いかもしれない。
「灼熱の焼却弾《レイジング・インフェルノ》──!!」
ブロスが自分のレグナント《幽界ノ陣》・荒廃の地獄の中で、超必殺技を放つ。マグマが吹き出る滅びと炎の空間で、炎の大規模爆撃を受ける、革命軍の遠隔ライドギア。跡形もなく蒸発し、塵一つ残らなかった。
ブロスがレグナント《幽界ノ陣》の召喚を解いても、現場には緊迫感が漂っていた。
「ブロス、革命軍の遠隔ライドギアを王宮から切り離して倒してくれてありがとう! けど、大変なんだ、革命軍の攻撃で地下牢が破壊されて、封魔の御子が逃げたんだよ──!! 革命軍の狙いは封魔の御子らしいんだけど、革命軍に確保されたら危険だから、手分けして探してるんだよ、いま」
テイヴァスでブロスの傍らに飛翔してきたベイが、早口で通信してきた。
「封魔の御子って……あの、身体の中に魔神を封印しているっていう、忌み子のことか?」
「そう! 革命軍がその魔人の力を手にしたら大変だろ? 今封魔の御子の情報を送ったから。手分けして探そう!」
ブロスの操縦核《ミッド・ギア》に、封魔の御子の情報が送られアラーム音が鳴る。
封魔の御子は、年若い少女だった。だが写真の表情の瞳に光がない。容姿の美しさと反比例するような不吉さがその写真にはあった。
なぜだか、ブロスの心が締め付けられた。記憶の中の母に、面立ちが似ていたからかもしれない。
「すごい美少女だよね……これだけきれいな子なら見てすぐに分かると思うんだけど、まだ見つかってないんだ。これは朝まで捜索かな……」
突然、ブロスの頭に激しい痛みが走る。うめき声を上げて操縦核《ミッド・ギア》に突っ伏すブロス。
「お兄さん、大丈夫?」
操縦核《ミッド・ギア》のうしろで様子を伺っていた少年が、ブロスに声をかける。そういえば、少年が抱えた少女は、写真の少女とよく似ている。彼女が封魔の御子ではないのか。
「俺は大丈夫だ。それより。おまえ、その娘はどうしたんだ。なんで一緒にいる?」
ブロスが、わずかの警戒心を含んだ声音で言った。
「この娘はね、多分。封魔の御子だよ。王宮にいたからボクが助けたんだけど、お兄さんたちの軍が保護したほうがいいんじゃない?」
ブロスは怪訝な顔になった。
「お前は? 王族の者か? なんで魔術障壁の中にいた?」
「ちょっとね。いっぺんに聞かないでくれる? ボクのことはいいから、この娘、保護してあげなよ。ボクは王族なんだけど、家出中なもんで、ボクのことは軍には黙っててくれると助かるんだけど?」
「家出貴族かよ。こんな時に呑気なもんだな」
「なんとでもいうがいいさ」
ブロスは少年に促されるままに、本部に通信を繋ぐ。
『封魔の御子を確保しました』
本部に連れてこいという上官の指示に従い、ブロスが気を失ったままの少女を連れて行く。ブロスが抱える少女を忌まわしそうに見やる上官が「今回のことは誰にも喋るなよ──封魔の御子のことだ」とだけ言った。それで部隊は解散だった。
その対応にベイは不満げで、ヴェルドは軍はそういうものだと言った。
「あの娘、また地下牢に閉じ込められちゃうのかな……」
気の優しいベイが、同情心を浮かべている。ブロスもそれには同感で、過去にその身を犠牲に捧げて魔神を封じたのに、忌み子あつかいはないよな…とベイに同調した。
「ところでブロス、その少年は誰?」
ベイは、ブロスの背後に隠れるようにいた少年に手を降って尋ねた。
「家出王族のぼっちゃんだとよ。こいつが封魔の御子を抱えてたんだ。こいつが黙っててほしいっていうから、報告はしなかったが、封魔の御子確保は、こいつのお手柄かもな」
黒ずくめの少年はなぜか少し不愉快そうな表情をして、背負っている大きなギターケースのようなものを持ち直した。
「──ほんとうは、おまえが。脱走した、封魔の御子だったりしてな」
ヴェルドが冗談ともつかない口調でいう。ヴェルドが冗談を言うのは珍しい。
「ボクが封魔の御子だって? 冗談キツイよ」
「……ッ!!」
突然、激しい耳鳴りと頭痛がブロスを襲った。ゼファーで瓦礫の処理をしていたヴェルドが、ブロスの異変に気づいて声を荒らげる。
「お前、やはり最近様子がおかしいぞ。ライドギアの召喚を解いて、軍医に見てもらえ。王宮の近くに待機させてある」
「……ありがとう。ッ!!」
ブロスがそういう間にも、頭が割れそうなほど傷み、謎の苛立ちが胸で暴れた。
◇
ブロスは、だんだんひどくなる頭痛のなか、意識が混濁していた。なぜだか駐屯した医療班の元へ行く気になれなくて、王宮から離れたことは覚えている。そこから、どう歩いてきたのか覚えていない。気がついたら、市街地の広場の噴水の前で行き倒れていた。
「俺……どうやって、ここまできたんだっけ?」
頭が痛い。釘を頭に打ち込まれているようで、頭が割れそうだ。 噴水の中に頭をつっこみ、そのままぶくぶくと沈むブロス。後ろからついてきたらしい黒ずくめの少年が、ブロスを噴水から引き上げた。
「ちょっと! ボクの前で死なないでくれる?」
「ああ……あ……あ?」
耳鳴りで音がかき消されて、ブロスは言葉をうまく発することができなかった。少年の顔が目の前に迫ったようだが、薄紫の瞳だけしか判別できない。
「お兄さん──だいぶ蟲の症状が進行してる。いつもあんなふうに、革命軍と戦ってるの?」
少年が水浸しのブロスを抱きかかえたまま、尋ねた。
「毎日、革命軍と戦ってるよ……」
やっとのことで言葉をひねり出すブロス。
「あちゃあ。……お兄さん、ほっといたら、数日もたずに壊れちゃうよ。顔を上げて」
少年はブロスの顔を包むように手を当てる。ブロスの唇に柔らかいものが触れて、口の間から舌と唾液が流れ込んできた。ブロスは頭の痛みと耳鳴りと苛立ちがあったが、少年の唇が触れた途端、それらがすべて中和される心地がして、抵抗しなかった。
しばらく少年と長く深い口吻を交わす。意識が明瞭になり、ブロスは我に返った。
「なっ、なにすんだ坊主!!」
ブロスは少年を押しのけた。
「そりゃあボクのセリフだよ、何が悲しくて人助けで行きずりのお兄さんとキスしないといけないんだかね!」
少年のひざに倒れ込むブロス。
「……どう? 耳鳴りは消えた?」
「あ、ああ」
「そのまま、ボクの歌を聞いて。なんで?とか言わないでよ。後で説明するから」
少年は、ブロスに膝枕をするような体勢で、アコースティックギターをケースから取り出す。
慣れた手付きで、片手に弾き語りを始めた。 異国の子守唄のような伸びやかで心地の良い歌声だった。頭痛と苛立ちが消えていく。気づくと、少年の周囲に、青い燐光を放つ──月光蝶が集まっていた。ブロスは目を見開いた。
「なんでこんなところに月光蝶が──夜の森にしかいないと思ってた」
ブロスが懐かしさで、少年の近くに集まってきた月光蝶の一匹に手を伸ばす。
「この子達は魔力の干渉の少ない環境じゃないと生きられないんだね。ボクが魔力を中和した空間に、好んでやってくるみたいで、ボクはよく見るよ。綺麗だよね。ボクの声──空気の振動で近くの空間の魔力を中和すると、お兄さんにかかった魔術も緩和されるはずなんだけど……」
少年の歌が止むと、ブロスの頭がまたずきりと傷んだ。
「痛えよ」
「うーん。重症だな」
少年は少し考える仕草をした後に、ブロスの前で両手を合わせて頭を下げた。
「お兄さんにお願いがあるんだけど。ボクがお兄さんの症状を治してあげるから、その間ボクをお兄さんの部屋に居候させてくれない? さっきも言ったけど、ボク家出中なんだよ。仕事が決まったら、すぐ出てくからさ。悪い話じゃないと思うよ」
この少年は警戒心というものがないのだろうか。
「治るのか、これ。医務室で軍医に見てもらっても、疲れとストレスだとしか言われなかったぞ」
「厳密に言うと、「それ」は病気じゃないんだよ。魔術の一種なんだ。ボクは身体に魔力を中和する力があって、ボクの声とか体液とか粘膜に触れると、お兄さんの症状が緩和されたり中和されて効力が消えるってわけ。ボクの体液を飲んだり、ボクの声で歌を聞いたり、ボクとその、うん、治療を何回かすれば治ると思うよ。多分ね」
「あんまり気は進まねえが……じゃあ、それ、その治療ってやつをお願いしてもいいか。任務中に頭痛と耳鳴りが起きると戦いどころじゃないんだ。部隊に迷惑かけちまう」
「それじゃ決まりだね。短い間だけどよろしく。ボクはセム。お兄さんは?」
「俺はブロスだ。軍人だ。かなりマシになったけど、まだ鈍痛がするぜ」
「部屋についたら治療してあげるから、それまで我慢してよ」
セムはそう言うと、2倍近く体重がありそうなブロスを肩に抱えて、家まで運んでくれた。案外いいやつなのかもしれない。男のくせにセムの身体からやたらいい匂いがするので、ブロスはドキドキした。
「これは趣のある部屋ですな」
「素直にボロいといえ」
ブロスは頭痛によってぶっきらぼうになっていた。見慣れた官舎の狭い部屋の明かりをつけると、セムが好奇心に満ちた目で部屋を見回している。男の部屋がそんなに珍しいのだろうか。
「ボク、水浴びしてもいい?」
「それは風呂のことか?」
ブロスがいうと、セムはうなづいた。勝手にしろというと、トコトコと浴室に向かっていった。あいつ、着替えとか持っているのか? ブロスは面倒くさいと思いながらも、自分の服とバスタオルを脱衣所に置いて、セムが体を拭いて湯上がりに服を着れるようにした。
ブロスはベッドに突っ伏し、頭痛の中、そのまま倒れるように眠る。
「準備できたよ」
目の前にバスタオル一枚のセムがいる。
ブロスはセムを二度見した。が、それはどう見ても、やはり蠱惑的な美少女だった。銀色の長い髪に、薄紫の大きな瞳、陶器人形のように白い肌、ふっくら色づいた桜色の唇。あの写真の少女に酷似している。
──封魔の御子に。
「ふう、楽になった。体型を隠すの大変でさ」
セムは豊満な胸元を抑える仕草をする。
「お、おまえ、おまえが……!!」
ブロスの口元がわななく。
「そーだよ。ボクが封魔の御子。あー、ボクが連れてたあの娘は、王族のお偉いさんの娘だったかな? 逃げ遅れてたから助けて、ボクの服を着せて、封魔の御子になってもらった」
セムが悪戯に微笑んだ。