統都ラガシュ国王軍ベース基地、猟犬部隊の休憩室。長い黒髪と均整の取れた肢体を揺らし、アリィ隊長が背伸びして窓辺のブラインドを開ける。
外は雨。窓に雨粒が張り付いている。ブロスは、窓に張り付いた水滴の一粒一粒を、無意味に眺めていた。水の粒が潰れて、窓を伝って流れていく。窓ガラスに映り込んだ、ホワイトボードにふと目が留まる。
背後にある実物のホワイドボードに視線を移す。『ようこそ猟犬部隊へ』という落書きが黒いマーカーでしてある。デフォルメされたイラストが添えてあった。隊員の描いた似顔絵だろうか。
「あはは。それ、君が来るから、誰かが描いていったんだね」
「そうみたいですね」
ホワイトボードの中心に。ブロスの似顔絵があった。よく似ている。誰が描いたのだろう。ブロスの口元がゆるんだ。
実物のブロスは、軍服姿の長身痩躯で、鼻筋の通った端正な顔立ちに黒いフレームの眼鏡をかけている。肩まである黒髪をハーフアップにまとめ、ブロスの所作に合わせ、ブロスが好んでつけているベルガモットの香水がふわりと揺れる。静かな黒い瞳からは聡明さと、少しの近づきがたさ。静かな湖畔を思わせる静穏な声は教養を感じさせ、落ち着いた雰囲気を形作っていた。
ホワイドボードに描かれた自分の似顔絵を見て、口元に笑みを浮かべるブロスの表情。それは柔和で人好きがするものだった。
「おっ。笑ったな。面談のときに思ったんだけど、君はお家の話題の最中、ずっとしかめっ面してたでしょ。お家が苦手なのかな? 顔に出ちゃう子なんだなーって思った。あっ。部隊での評価に響くわけじゃないし、忖度して尊敬してるとか言わなくていいから、正直に好きに答えてね。君のことが知りたいだけだから」
ブロスは士官学校から、ラガシュ王国軍の『忠実なる猟犬部隊』に配属された。 隊員達との顔合わせを控えた休憩室には、シーリングファンが静かに回る音だけが響いている。
「──いい感情はないですよ。『親父は、俺が戦場で殉職すればいいと考えて、最前線に俺を送った』そうなんで。それでも、国の役に立てるなら、簡単に死んでやるつもりもありませんけどね。こんな俺でも、国は軍人として受け入れて、戦うすべも教えてくれた」
ブロスは、家を出る前のことを思い出した。陰湿な使用人に言われた言葉を復唱する。知ったときはそれなりに傷つきもしたが、今では戦場を根城にする死神のように生き抜いて、父を悔しがらせたいとすら思っている。
「初めての前線は不安? だぁーいじょぶ。配属早々新人君を死なせたりはしないよー。だから、戦いの先には、夢を持って生きるのだよ、ブロス君。猟犬部隊(ここ)には、君を嗤う人間はいないからさ。よろしくね」
アリィ隊長が、柔和に微笑み握手を求める。 ブロスはその手をうやうやしく握る。強靭なライドギアを操るライダーとは思えない、白く柔らかな手だった。
『猟犬部隊に配属された』と、士官学校の同期に話したら、羨ましがられたことを思い出す。アリィ隊長が『美人で、胸がでかくて、長い髪からいい匂いがする』からだそうだ。目の前の慈愛に満ち溢れた笑顔を見て、納得しかけていたところ、アリィ隊長が口を開いた。
「隊員の顔合わせが済んだら、勝利のためのその1ね。さっそく模擬訓練だー! 実戦がぬるく感じるくらい、先輩たちがライドギアでしごいてくれるよー!」
◇
「はじめまして、俺はヴァラッド。猟犬部隊の副隊長だ。よろしくなブロス。ちなみに、使役ライドギアはサイレイド。プラズマを操るライドギアだ。いつも酒飲んでるけど、気にしないでくれよ」
酒の入ったスキットルを煽りながらそう言うのは、恐ろしく端正な顔立ちをした、背の高いヴァラッドだ。顔合わせの際に、真っ先にブロスに会釈して、挨拶をしたのが彼だった。人好きのする笑顔でヴァラッドが微笑む。老若男女問わず、ひとに好感を持たれやすそうな人物だと、ブロスは思った。
「僕はベイ。この体格を見ての通り、食べるのが好きだね~。お近づきの印にピザをどうぞ! 僕のライドギアは、テイヴァス。石を操るライドギアだよ~」
モッツァレラチーズがこぼれんばかりマルゲリータピザを、ブロスに差し出してきたのがベイだ。丸々として、かなり恰幅が良い。幼い頃のブロスもぽっちゃりしていたので、どうにも他人と思えない。人柄の良さが滲み出た顔をしている。
「あたしはレリムよ。いっとくけど、あたしのほうが年上だから。背がでっかいからって、あたしに先輩風吹かせたり、子ども扱いしないでよね。あたしのライドギアはツァンラート。水を操るライドギアよ」
ブロスに若干の圧を与えてくるのが、かなり童顔に見える、小柄なツインテールの女性、レリムだ。ブロスを見据えながら口をとがらせている。その仕草が彼女をますます子供っぽく見せている。
「……俺はヴェルドだ。わからないことがあったら、なんでも聞け。俺のライドギアはゼファー。風を操る」
言葉少なめに話すのが、部隊で最年長らしいヴェルドだ。顔に深く刻まれた皺と傷が、精悍な印象を与える。体躯も逞しい。ぶっきらぼうな口調だが、雰囲気はどこか優しかった。不器用な性格なのかもしれない。
「そしてあたしは、もう知ってるかもしれないけど、猟犬部隊の隊長のアリィオーシュだよー。名前長いから皆、アリィって呼んでるね。使役ライドギアはオクタピア。雷を操るんだよー。よろしくねー! さっ! ブロスくんも自己紹介してして!」
アリィ隊長が柔和な笑顔でいう。アリィ隊長は、街にいるきれいなお姉さんといった風貌で、体型も女性的で、率直にいってまったく軍人らしくないのだが、猟犬部隊の隊長をやっているくらいなので、ライドギア操縦の腕は立つのだろう。
「自分は、新しく配属された隊員のブロス=ギブロスです。使役するのはインフェルノ、炎を操るライドギア。ふつつかものですが、よろしくお願いします」
ブロスが若干硬くなりながら、皆に一礼した。
「ふふっ、そんな固くならなくてもだいじょうぶだよー。もっと砕けた口調でいいからね。ここそんなに上下関係が厳しい部隊じゃないからさ」
アリィ隊長がそういって、ブロスの肩を撫でる。
「は、はあ」
あまり女性に触れられたことがないブロスが、露骨に戸惑う。
思っていたより個性の強い、隊員たちとの対面の後。ブロスを待っていたのはライドギアによる模擬訓練だった。