第二話 黄金の意志

 柔らかな光に包まれた広い花園の一角で、メイルは淡いピンク色のコスモスの苗を手にしていた。ふかふかと暖かい土を両手ですくい、コスモスの苗を丁寧に植えていく。それらがコスモスの花壇になると、メイルは額の汗をぬぐった。

 コスモスの花壇の正面には、朽ち果て花園の一部となった、大きな像があった。翼を広げる荘厳な姿。色あせた鉛色の身体にくまなく苔や植物の蔓が這い、所々花を咲かせている。この像は、太陽神を模した『シャマシュ』と呼ばれる花園の守り神だ。メイルは花園の植物が健やかに育つことを祈って、シャマシュに手を合わせる。

 メイルは水場で手を洗った。腰まである淡色のサイドポニーテールを揺らし、白いワンピースをひるがえしてジムダルの元へ駆ける。白いサンダルの靴底が石畳を打った。

「終わりました。ジムダルのコスモス、とっても綺麗ですよ」

「今年もいい苗だ。世話はしっかりな」

 熊のような低い声で応えた庭師のジムダルは、バラ園の手入れをしていた。逞しい体躯に、日に焼けた肌、白髪に白髭、庭師の格好。初老にさしかかろうとしている年齢で、メイルが幼いころからメイルの側にいて、面倒を見てきた。

「……っ」

 ジムダルは胸を押さえるような仕草をとると 、深く息を吐いた。メイルが心配そうにジムダルの顔を覗き込む。

「ジムダル……心臓が痛いのですか? お昼を食べて、サジの薬を飲みましょう」

「いつも悪いな。メイル」

 メイルは日当たりのいい、ガラス張りの炊事場で薬草とタマネギのスープ、温野菜のサラダ、薬草とベーコン、チーズとひよこ豆を煮詰めた粥を作った。様々な種類の薬草をはじめ、コメや野菜は全て農園でジムダルと収穫したものだった。

 サジの薬草は心臓に良い。メイルは辞典で薬草の勉強をし、ジムダルの心臓の負担が少なくなるような薬草料理や薬草茶を毎日作る。乾燥させたサジの薬草を煎じた薬草茶をポットに作り、それらをトレーに載せると、花園の中心にあるガーデンテーブルに運んだ。

「今年はサジの薬草がたくさん採れるので助かっています。料理や薬草茶にいっぱい使うので、今は乾燥させて保存してるんですよ。ジムダルの胸の調子はどうですか?」

「お前の作る食事や薬のおかげで大分調子がいいよ。だがこればっかりは年だからな。完治はせんだろう」

「……でも、ジムダルの症状が軽くなるのなら、私なんでもします」

 ジムダルはカップを持ち、薬草茶を飲みながらメイルを見た。

「メイル、お前は本当に優しい子に育ったな。儂の調子が悪いのは年だから、お前が気に病むことじゃない。心残りなのは、儂が死んだ後、お前を一人にしてしまうことだ」

「やめてくださいジムダル、縁起でもありません」

「お前には料理や洗濯や裁縫、薬の作り方や、花や野菜の育て方を教えて、一人でも生きていくのに困らんようにはしてきたが、両親も友達もいないのは寂しいだろう。お前を花園に閉じ込めておくのも、もうやめにしたほうがいいのかもしれん」

「ジムダル。私の――お父さんとお母さんはどこにいるんですか? どうして私は生まれたときからこの花園にいて、外に出てはいけないのですか?」

「お前の両親のことは――知らん。お前はこの花園の揺りかごに置き去りにされていた。儂は、庭を転々とする、ただの庭師だ。この花園にはお前がいたから、長く居着いているがな」

 ジムダルが、メイルの疑問に立て続けに応えた。

「外の世界のことは、お前は知らんほうがいいと思ってな。だがお前のことを考えると、そうもいってられんかもしれん。儂がここにお前を閉じ込めていることで、善良な出会いの芽すら摘んでいるのだから」

 会話の終わりを匂わすように、ジムダルが飲みさしのカップを置いた。メイルは、ジムダルと同じ薬草粥を食べながらなにか考えているようだった。しばしの沈黙のあと、メイルが口を開く。

「花園にある大きな像――シャマシュは太陽神の像だとききましたが、どこの神話の神様なんですか? 植物の成長を見守る神様だとジムダルはいっていましたが、書庫の本を読んでも、見つけることができませんでしたよ」

「エドゥアルドという民の民族神話だよ。シャマシュは太陽神、万物の恵みの源である。エドゥアルドの民や、一部の文明では、太陽を象徴するものを王と呼んでいた。そのくらい、太陽は万物の成長にとって必要不可欠なもので、それを象徴する者も偉大だったのだ」

 ジムダルは遠い神話に思いをはせるように、目を細めてメイルに話す。メイルはジムダルのこういった話を聞くのが好きだった。

「じゃあ、ここでお花達やシャマシュを管理しているジムダルは、花園の王様ですね」

 メイルがそういうと、ジムダルが苦笑した。

「そうだ。儂の最後の王国だ」

 メイルがふふ、と笑うと、持っていたカップに視線を落とす。琥珀色の薬草茶に、メイルの顔が映っていた。

「私は、私の事を、なんにも知らないんです。気がついたら花園にいて、外の世界のこともよく知りません」

「自分自身に関しては、誰だってそんなもんだ。自分自身を知っていも、記録や記憶を剥いていくうちに、確固たる中身などなく、目に滲みて泣くってはめに陥る。タマネギみたいにな」

 ジムダルがタマネギのスープをスプーンで掬い、冗談めかして言った。

「ジムダルも、自分自身の事がわからないんですか?」

「深く考え出すと、わからなくなるな。だから気持ちを良い方に保つために、花をいじっているのかもしれん。だがメイル、花はいいぞ。人の心を慰めてくれるだけではなく、心に邪なものをもって花に関わる人間はいない。人間のいいところが見たかったら、お前も花にまつわる仕事をしてみるんだな。ご馳走だった。今日もうまかったぞ」

 ジムダルは食事を終えると立ち上がった。メイルは食器を片付けると、庭仕事に戻ろうとするジムダルの服の裾を引っ張った。

「ジムダル、お願いがあるのですが……」

「いつもの『あれ』がみたいのか?」

 メイルが頷く。ジムダルは、石畳をメイルと歩き、大きな噴水を抜けると、鍵を取り出して石造りの神殿(ジグラッド)の扉を開いた。神殿(ジグラッド)の中は、天井がガラス張りになっているため、太陽光が差し込んでいた。暖かな空気で満ちている。メイルとジムダルが歩を進める広間の中心には、太陽光を反射して輝く、巨大な竜の黄金像があった。

「――スペリオールラグーン。私が小さなときからジグラッドにあった像。ジムダルは、私の成長を見守る『守り神』だって言ってくれましたね。小さい頃はこの像が怖かったけど、今は綺麗だって思うようになりました。この黄金竜には、どんな意味があるのですか?」

 メイルが巨大な黄金竜を見上げ、隣にいるジムダルの表情を伺った。

「黄金とは、物質的な意味を差すものだけがそう呼ばれるわけではない。黄金の意志というものがある。誰の心にもある、最も美しい部分だ」

「最も美しい部分とは? 思いやりの心とか、お花を綺麗と感じる心――とかですか?」

「その心が理不尽に傷つけられ、踏みにじられそうになったとき。『人の為に戦う意志』が黄金なんだ。この黄金の意志は誰の心の中にもある」

「私の心の中にも?」

 メイルが白いワンピースの胸元に両手を置いて、ジムダルに尋ねた。

「勿論だ。これは、お前を花園で見つけたときに、お前が掌に握っていた指輪。お前の出自を握る大事な指輪だ。無くすといけないからお前が大きくなるまで預かっていたが、今渡しておこう。お前もいつか、この花園から出て行くときがくると思うが、この指輪と『誰かの為に戦う意志』を、絶対に手放すなよ。もし今後、お前の身が危なくなったら、この二つに祈るんだ。いいな」

 真剣に話すジムダルが手渡してきたのは、メイルの瞳と同じ色の蒼い宝石が台座にはめられた、美しい指輪だった。メイルは受け取って、指輪を眺める。

「凄く綺麗な石ですね――でもなんだか、懐かしい。私の瞳の色と同じ色をしているからでしょうか」

 メイルは指輪を右手の薬指にはめると、太陽の光に蒼く透き通る宝石を透かして微笑んだ。ジムダルはその様子を見て、安堵の表情を浮かべている。

 その時だった。花園の外から爆撃にも似た音が響く。不審に思ったジムダルとメイルが花園に戻ると、花園を形成していた空間が、割れたガラスのように大きく破壊され、欠けている。その側には、黒紫の流線的なフォルムを持った巨大な機械兵が、不気味な重力球を周囲に浮かべて佇んでいた。

「ジムダル、これは一体……」

「発見!! 封珠の御子発見しました、ドラゴ将軍!!」

 割れた空間から、エアバイクに騎乗しギアスーツを纏った女斥候が現れ、叫んだ。メイルの側にいるジムダルを見るなり、威嚇のためか、ジムダルの足下に発砲する。

 ドラゴ将軍と呼ばれた、先頭で軍隊を指揮する男は、猛禽類のような鋭い目つきをしている。赤毛をオールバックに撫でつけ、頬に入れ墨があった。逞しく屈強な体躯で、独特の威圧感を放ち、軍隊を指揮している。

「動くな! エドゥアルドの王(ルガル)・ジムダル! 封珠の御子を引き渡せ!」

「メイル。さっきの広間に逃げろ。鍵を掛けて、しばらく出てくるな」

 ジムダルはメイルに神殿(ジグラッド)の鍵を渡すと、メイルを花園の奥に追いやろうとした。

「どういうことですジムダル!? どうするつもりですか!?」

「いいから行け! ――もし儂が戻ってこなかったら、その時は祈れ、指輪とスペリオールラグーンに。――行け!!」

 メイルはジムダルに命じられるまま、スペリオールラグーンのいる神殿(ジグラッド)へと走った。ジムダルが心配で振り返る。辺りは女斥候の騎乗するエアバイクで包囲されていた。地響きと共に巨大な黒紫の機械兵が、ジムダルに迫り、踏み潰そうとしていた。ジムダルが右手に琥珀色の指輪をはめ、ドラゴ将軍に向けて叫ぶ。

「ライドギアを悪用するなど……恥を知れ! 日輪を統べし 太陽の王 我が呼び声に応えよ、シャマシュ! アルム【光閃】!!」

 ジムダルの詠唱と共に花園に半身を埋めていたシャマシュの像が輝き、翼が開いた。ジムダルはシャマシュの操縦席に転送される。シャマシュに絡みついていた苔や植物は、命を持ったかのように、シャマシュから離れていく。

 シャマシュの動力炉に古代魔術(エンシェントルーン)のエネルギーが収束し、火の粉にも似た琥珀色の魔力粒子が周囲に舞った。魔方陣が展開され、花園上空に姿を現した琥珀色に輝くシャマシュから、無数の太陽光閃が放たれる。アカーシャの光閃に焼かれ、逃げ惑う兵士達。

「上等だ、ルガル・ジムダル! 我がライドギア・ムスタバルに挑む勇気は褒めてやる! だが俺の狙いは封珠の御子、邪魔立てするなら始末する!」

 ムスタバルと呼ばれた黒紫の機械兵は、衝撃波を纏った拳を突き出し、集中砲火される太陽光線を相殺した。巨体に似合わぬスピードで、シャマシュまで接近する。ムスタバルの周囲には重力球が浮き、古代魔術(エンシェントルーン)の重力エネルギーを纏った拳でシャマシュに重撃を放った。

「冥界より現れし 亡者の重力よ! スクラップにしてくれるわ、ギラム【重撃】!! 封珠の御子も逃がさん!!」

 シャマシュはムスタバルの重撃に光閃で迎撃し、打撃のインパクトでお互いのライドギアのエネルギー粒子が舞った。ムスタバルは、奥の神殿(ジグラッド)へと逃げるメイルに、エネルギーの重力球を飛ばした。メイルの周囲が重力を纏った爆発に包まれる。

「なにっ!?」

 花園の植物が命を持ったようにうねり、ムスタバルの機体に足下から絡みついて攻撃を妨害していた。身動きのとれないムスタバル。

「足下を見ないからそうなる。お前の相手は儂だ。よそ見をするな」

 ジムダルが操るシャマシュが、琥珀色の粒子に包まれながら、ムスタバルに容赦なくアカーシャの光閃を放つ。

 メイルは二人の戦闘を後目に見ながら、スペリオールラグーンのいる神殿(ジグラッド)に逃げ込み鍵をかけた。その場にへたり込むメイル。

 目の前にそびえ立つ黄金像、スペリオールラグーンは、何事もなかったかのように、静寂に包まれて鎮座している。ジムダルはシャマシュを動かして戦っていたが、花園に侵入してきた軍隊もシャマシュと同じ――ライドギアと呼ばれる魔術兵器を使役していた。

 メイルは全身から恐怖を滲ませながら、神殿(ジグラッド)の外から大きな音が聞こえるたび、スペリオールラグーンに祈った。ジムダルが死んだりしませんように。ジムダルとの思い出を反復するように、メイルは震える両手を握って祈った。

『おいくそガキー!!』

 拡声器から響いたのは、ムスタバルを使役するドラゴ将軍の声だった。びくんと身体を震わせるメイル。

『ジジイはやられたぞ、殺して欲しくなくば、そこから出てこい!』

「来るなメイル!! 祈れ! スペリオールラグーンに!!」

『黙ってろ、死に損ないが! 発作かなんだか知らんが、老いとは残酷なものだな』

「ぐあぁああ!」

 メイルは身体が引き裂かれそうな心地になりながら、ジムダルの言うとおり、スペリオールラグーンに祈っていた。ジムダルはメイルを助ける為に戦っている。人の為に戦うことが『黄金の意志』で、ジムダルは誰の心にも黄金の意志はあると言った。

「お願いです、スペリオールラグーン! 私に力を! ジムダルの為に戦える力を下さい!!」

 メイルは声に出して祈っていた。

 その瞬間スペリオールラグーンが黄金に輝き、メイルもまばゆい光に包まれる。メイルの身体が、ライドギアを扱うためのギアスーツを纏っていた。

 気づくと、メイルはスペリオールラグーンの内部に転送されていた。古代魔術を用いた操縦席。左右に二つの魔石が鎮座されている。メイルがそれに触れる。操作は感覚的で、指先の意志の通りにスペリオールラグーンの四肢が動いた。

「光より生まれ出でし竜よ 我に戦う力を! 黄金の意志 スペリオールラグーン!」

 メイルが命じると、スペリオールラグーンが雄叫びを上げる。黄金の巨躯は勇ましく、動力炉からエネルギーが呼応するように全身に循環した。スペリオールラグーンがホバリングし、蒼い魔力粒子が舞う。

「ジムダル! 今助けにいきます!!」

 メイルがスペリオールラグーンを疾駆させ、神殿(ジグラッド)の石畳を豪快に破壊する。ジムダルとドラゴ将軍のいる花園へ向かう。

「ジムダル!!」

 メイルが見たものは、焼かれ踏み荒らされた花園。ムスタバルの腕に宙吊りにされている、生身のジムダルだった。ジムダルはまぶたを深く閉じ、口元から一筋の血を流して、胸が鮮血で赤く染まっている。ムスタバルから降り、ジムダルの傍らにいるドラゴ将軍。ドラゴ将軍の掌には、ジムダルのものらしき心臓が握られている。

「――フン、遅かったな。出てこいといった時に、出てきていればよかったものを。自分の物わかりの悪さを呪うんだな」

 ドラゴ将軍が不愉快そうに吐き捨てた。ジムダルの遺体から、琥珀の指輪を奪おうとしている。

“人の心が理不尽に傷つけられ、踏みにじられそうになったとき。『人の為に戦う意志』が黄金なんだ。この黄金の意志は、誰の心の中にもある”

 メイルの頭の血が逆流した。

「よくも――よくもジムダルを――!!ジムダルに触るなぁ――!!」

 メイルが生身のドラゴ将軍に特攻するべく動力炉に古代魔術(エンシェントルーン)のエネルギーを増幅させる。蒼い魔力粒子があたりに舞った。

 だがその瞬間、今までいたはずの花園は消えてなくなり、後に残ったのは、薄暗く寂れた神殿(ジグラッド)と、大きな街の廃墟だった。

「ジムダルの死で、ジムダルの『幽世の陣(かくりよのじん)・王者の花園』も消えたか。シャマシュのエネルギーで作られた結界の中で、今までお前達は暮らしていたのだ。ジムダルは、この廃墟と化した戦士の街・ラガシュの太陽を司る王(ルガル)だった。お前といたあの花園が、奴にとって最後の王国だったわけだ」

 残ったのはドラゴ将軍と、ジムダルの遺体。ドラゴ将軍はジムダルの心臓と指輪を、副官らしき男に手渡す。

「ヘルダー、ジムダルの心臓をシリンダー化しろ。指輪も保管しておけ。俺はこれから、封珠の御子の確保を行う。面白いライドギアに乗っているようだからな――」

「ご武運を」

 副官のヘルダーが一礼して下がった。再びムスタバルの中に転送されるドラゴ将軍。

「フン、何が戦士の街・ラガシュの王だ。封珠の御子といえばきこえはいいが――こんなガキとお花畑に隠居し、おままごと生活をしていたとはな。王の名が泣く」

 メイルが山猫のように神経を逆立てて猛った。

「ジムダルの悪口を言うな――この人殺し!!!」

 メイルはスペリオールラグーンの鋭利な爪で、ムスタバルに襲い掛かった。

「殺してやるさ、俺の計画に邪魔な者は何人でもな!!」

 ムスタバルはスペリオールラグーンと組み合うと、重力のエネルギーを拳に込め、スペリオールラグーンを押し返した。辺りに浮かんだ重力球を、スペリオールラグーンの至近距離で爆発させる。

「あぁっ!」

 スペリオールラグーンは爆発によろめく。隙を突くように、ムスタバルが重力を纏った拳で衝撃波を放った。神殿(ジグラッドの)白い煉瓦がブロック細工のように破壊され、衝撃波と共に吹き飛んだ。

「重撃【ギラム】! だが、お前は殺さん! 我々の計画に必要な、封珠の御子だからな!!」

 赤い衝撃波がもろにスペリオールラグーンに衝突した。装甲が破壊されそうな衝撃。操縦席のメイルも衝撃波のダメージを受けていた。

「お前には特別に、冥府の景色を見せてやろう――」

 メイルの視界が、赤黒い異様な空間に浸食されていく。漆黒の山脈に、不気味な赤い空。あたりには不気味な重力球が無数に浮かんでいる。底のない足下には黒いフードを被った亡者達が、ムスタバルを讃えるように蠢く。

 古代魔術(エンシェントルーン)のエネルギーを一極集中させ、空間に仁王立ちするムスタバル。次の瞬間、光速の連続攻撃が重力球を誘爆しながら、スペリオールラグーンに炸裂した。

 巨大なハンマーのような重撃連打、身体を巻き込む重力球による重力爆発。ムスタバルの拳に巨大な黒いエネルギーが収束する。紫の魔力粒子が辺りに舞い、出力を高めていく重力球――ブラックホールを形成するエネルギーの塊を、重力を込めた渾身の力で、スペリオールラグーンに叩き付けるムスタバル。

「冥府の景色はどうだぁ――フハハハハ!!!」

 連続攻撃の衝撃で、メイルの視界が反転し、亡者のいる山脈の谷底に落ちるスペリオールラグーン。操縦席に巨大な亡者の手が伸びる。亡者の手に捕まり、メイルはもがいた。ギアスーツも破り取られ、巨大な亡者に首を絞められる。呼吸ができなくなり、メイルはフードで隠れた亡者の顔を見上げた。

 不意にフードがめくれ落ちる。メイルは驚愕して、涙を浮かべた。
 亡者は、ジムダルの顔をしていたのだ。

「俺の幽世に、新たな亡者が加わったな。冥府王ムスタバルを讃えるがいい、ジムダル」

「御身のままに。――死ね、メイル」

 ジムダルに心臓を貫かれる。激痛が走りそれが幻ではないことを実感するメイル。ジムダルの手には、メイルの心臓が生暖かく鼓動していた。

「嘘だぁ―――!!」

 スペリオールラグーンは底なしの亡者の谷を落ち続け、メイルは泣き叫んだまま意識を失った。メイルが意識を失うと同時に、『幽世の陣・冥府王ムスタバル』は砕け、空間の破片となって消えた。メイルは、ラガシュの神殿(ジグラッド)に、生身で投げ出された。

「少々やりすぎたな」

 メイルの心臓を掌に握っていたのは、ドラゴ将軍だった。生きた心臓が生暖かく鼓動している。

「ヘルダー。封珠の御子――くそガキを確保したが負傷させた。飛空挺(シュガルラ)内で治療させろ。死なれてはかなわん。くそガキの指輪も外して金庫に保管しておけ」

 ドラゴ将軍は終わった戦いに興味が失せたと言わんばかりに、傍らに待機していた副官ヘルダーに、メイルの身体をなげやりに預けた。ヘルダーは背の高い、くせっ毛の美青年で、端整な顔立ちをしているが、どこか冷笑的な雰囲気が滲み出ている。

 メイルを抱えた際に、自分の両手に他人の血液が付着したのを見て、ヘルダーは鼻梁を僅かに歪めた。

「これで我々の計画に一歩近づいたわけだ。計画に成功しなければ、俺がシリンダー化して使役しているラガシュの住人共も浮かばれんからな」

 廃墟と化したラガシュの街を一瞥して、ドラゴがヘルダーに言った。

「護龍をドラゴ様の手でお治め下さいませ。新たな太陽を手にとって」

「言われずともそのつもりだ――フハハハハハ!」

 ヘルダーの一礼に、ドラゴ将軍は高笑いで応えた。メイルはうっすらと取り戻した意識と、心臓をえぐり取られた激痛の中、底知れない悪意というものに初めて触れ、優しかったジムダルを思い出し、一筋の涙を流した。

「うっ――ジムダル――」

 飛空挺(シュガルラ)の医務室で目を覚ましたメイルは、起きあがろうとしたが胸部の痛みに肘をついた。あたりを見回すと、培養液に入った人体のパーツ、精密機械が立ち並んだ部屋で、こちらを見ている人物がいた。

「目を覚ましたかね」

 黒い長髪、三十代なかばの男性で、左眼にモノクルをはめている。理知的な雰囲気を纏い、黒曜の双眸は思慮深く、学問に精通する人間の趣があり、長身痩躯に黒いスーツと白衣を羽織っていた。だが、その瞳には力がなく、火の消えた静かな蝋燭を思わせた。

「傷はまだ痛みますか?」

 男の傍らには、理知的な印象の美しい女科学者がおり、メイルに声を掛ける。

「――あなた方は――お医者さんですか?」

 メイルの問いに、目の前にいた男は無表情に応えた。

「医者ではない。私は正規軍の軍属学者――ブロスだ。彼女は助手のリーゼ。私は魔造細胞から作った人体のスペアパーツを作っている。負傷した兵士の治療のためにな。君の欠損した心臓も、心臓のスペアパーツで治したのだ。君の本物の心臓は欠損していて移植できなかった――」

「痛っ」

 メイルは起きあがろうとして、胸の鋭い痛みに顔を歪めた。

「――無理に動くな。移植部分の蘇生が完全ではない。君の蘇生を待って、君を人工太陽(ルインファルス)の部品にする」

「!? ――ルイン…ファ? どういう、ことですか?」

「君が人工太陽(ルインファルス)の生体部品になれば、君の自由意志は失われる、といっているんだ」

「なにをいっているのか、意味がわかりません――あれは!!」

 メイルは不安そうに辺りを見回して、医務室の棚に並べられた『シリンダー番号:1450 ジムダル』と書かれた、小型の培養液に入れられた心臓を見つけた。メイルはジムダルのシリンダーに駆け寄ってそれを手を取ると、男をきつく睨んだ。

「人でなし!! ジムダルが、なぜこんな目に遭わないといけないんですか! ジムダルは私を守るために命がけで戦ってくれたのに! ひどい……ひどすぎます!! こんなことして何をしようっていうんですか!」

 ブロスはメイルからシリンダーを取り上げようとしたが、メイルはそれを手放そうとしなかった。

「ジムダルの心臓は、薬草で保たせていたようだが、病でひどく衰弱していた。そのシリンダーも使えるのは一回限りだろう。君の言うとおり、我々は上の命令に従うだけの人でなしだ。――不本意ではあるが、命令に背くわけにはいかない」

「命令ってなんです!? あなた方には、誰かの為に戦おうって気持ちはないんですか!? 自分勝手な理由で、なにかを奪うために戦うんですか!? そんなの間違ってる!! あなたが臓器のスペアパーツを作れるなら、ジムダルの病気だって治せたかもしれないのに、殺して心臓を瓶漬けにするなんて!」

メイルは双眸から大粒の涙を流して、ブロスに叫んだ。

「わかっているよ、非道なことをしているというのは。私とて自分の技術を正しいことに使えたらどんなにいいか。だが、正しいことをして、それだけで物事が正しく進んで、正しく生きていけるほど、この世界は単純には出来ていないんだ」

 ブロスはなんの感情も宿さない声で、メイルに応えた。

「すいません。あなたに言っても仕方がないことでした。でもジムダルが死んで、気持ちのやり場がなくて――ジムダルは『誰かの為に戦う意志が黄金なんだ』って、教えてくれました。そして、黄金の意志は誰の心にもあるって」

 メイルが、とめどなく溢れてくる涙をこらえた。

「黄金の意志だと? くだらんな。私には、そんなものはない」
 
「ジムダルは誰の心にも黄金の意志はあるといっていました――誰かの為に戦える強い心が!」

「フン。では捨て身になって戦って、大事なものを全て失い、敗れたときのことを考えたことはあるか? そう――今の君だよ」

 メイルは悔しそうに、下唇を噛んだ。

「惨めなものではないか。負ければ、挑んだ相手に従うしかなくなる。敗者に権利などない。君は人工太陽(ルインファルス)の部品となって死ぬ。向こう見ずな無鉄砲さのことを、黄金の意志というのかね? 死期を早めるだけだと思うがな。実にくだらない」

 ブロスは右手の薬指を、しきりに触れながら話している。メイルはその男の仕草を不思議に思いながらも、続けた。

「確かに私は――負けました。ジムダルや、花園の植物たちも守れませんでした。もう私には、なにもありません。でも、私から全てを奪ったもののいいなりになって死ぬのはいやです――!」

メイルが胸を押さえ、よろけながら、診察台の上から床に降り立った。

「なにをするつもりだ、そんな身体で――まだ蘇生しきっていないのだぞ!」

「もう一度ドラゴ将軍と戦います。私はドラゴ将軍が許せません。あの人にどんな大義があったって、ジムダルを殺すことが正当化されるわけじゃありません」

「この飛空挺(シュガルラ)は軍本部に向かっている。ドラゴだけじゃない、今度は軍を全て敵に回すことになるのだぞ。それに、君の切り札である、ライドギアを召喚するための指輪は金庫の中だ」

 メイルは悔しそうに歯噛みした。

「さっき、ジムダルをシリンダーにしたのは本意じゃないっていいましたよね。どうしてブロスさんは、こんな酷いことをする軍隊のいいなりになっているのですか?」

「私を従軍させるために、私の親友が人質に取られている。私が命令に従わなければ、私の親友が拷問を受ける。私の精神はそれに耐えられない。だからいいなりになっている。それだけだ」

 ブロスは苦虫を噛みつぶしたような表情で応える。助手のリーゼがブロスに同情的な視線を向けている。メイルはしばらくブロスの顔を見つめたあと、意を決したように続けた。

「私がライドギアを召喚するための指輪――それを取り返すのに協力してくれたら、私がスペリオールラグーンの力を借りてブロスさんの親友を助けます」

「なんだと?」

 ブロスは面食らったかのように、メイルの顔を見た。

「悪いが私はそんなお人好しではない。戦う気力など、とうの昔に燃え尽きた。私はもう終わった人間なのだ。それに、人の生死が関わることを、簡単に助けられるなどと皮算用して、安請け合いするものではないぞ」

 ブロスはメイルに冷たく言い放つ。メイルは強い瞳で続けた。

「私が差し出せるのは――私の命だけです。軍隊が私を部品に使いたいなら、ドラゴ将軍は私を殺しはしないはずです。私を盾にすれば、ブロスさんも殺されないでしょう。親友の方と、ブロスさんを、軍隊から脱出させればいいのなら、それまでは、私がブロスさんを守ります」

 メイルは目覚めてから、ことの経緯をみて感じたことを率直に言った。ブロスはそれも的を射ていると思った。メイルがいなければ、人工太陽(ルインファルス)は動かせないからだ。

「……指輪は金庫だと思うが、君では侵入が不可能な場所にある。とだけ、いっておく」

 ぼそりと応えたブロスに、驚きの表情を見せる、助手のリーゼ。

「ルター・ギブロス……妙な気を起こさないでくださいよ。護龍に新しい太陽を昇らせるという計画と、人工太陽(ルインファルス)を作ったのは他ならない、あなたではないですか! 責任者が計画を放棄して、まさか、このめるるんと一緒に逃走する気ですか?」

「そうだ、人工太陽(ルインファルス)を作ったのは私だ。ドラゴの命令でな。その間にも、十数年にわたって、私の親友は拷問を受け続けてきた。助け出さなくてはならない、今すぐにでも……!」

「ルター・ギブロス……」

「リーゼ、わかってくれとはいわないが、邪魔はしないでほしい」

「私には、上が気づくまで、とぼけておくくらいしかできませんよ」

 リーゼは了解のニュアンスを含み、沈黙した。二人の信頼関係がみてとれた。

「メイル。なぜキミは、会ったばかりの私にそこまでしてくれようとするのだ?」

「私はジムダルに、出会った人間には真摯であるように何度も言われてきました。それに『誰かの為に戦う心』と指輪を手放すなとも。それを守っているだけです」

 ブロスはメイルを一瞥して続ける。

「指輪のある場所へ案内する。私も金庫に用があるので一緒に行こう」

「!! ありがとうございますブロスさん! ブロスさんのことは、身に危険が及ばないように、私が絶対に守りますから!」

「少女に言わせる言葉ではないな。自分の身は自分で守るよ」

 ブロスは苦笑して、研究室のドアを開けた。

 研究室を出ると、近代的な意匠の飛空挺内は、不気味なほど静まりかえっていた。ブロスは早足で鋼の通路を歩いて行く。メイルは転ばないように、必死でブロスに続いた。

「悪い。急ぐのだ。私が不審な動きをすると、すぐに感づかれてしまうのでな」

 ブロスは振り返ってメイルの手を取り、メイルが転ばないように腕を引く。

「オオオオオオオオオオオオオ!」

 耳をつんざく咆哮と共に、目の前に赤い魔方陣が展開される。旋風がブロスとメイルを薙いだ。魔方陣の中心から現れたのは、巨大な大腕を携えた機械兵だった。

「金庫には門番がいる。ヴルトムラカンという魔術ロボットだ。不審者を探知すると、魔方陣から現れて侵入者を襲う。私がこれから金庫に行って指輪を取ってくる。キミはコンテナの影に隠れていなさい」

 ブロスはメイルに、「気休めにしかならんと思うが」そういって銃を手渡し扱い方を教えると、現れたヴルトムラカンを通り抜け金庫へ続く通路へ駆けていった。メイルはコンテナの影に隠れようとしたが、ヴルトムラカンの挙動を見るなり、ヴルトムラカンの正面へ走り、叫んだ。

「こっちを狙うんです、魔術ロボ!!」

 ヴルトムラカンがブロスを追おうとしたので、メイルは自分を囮にしようとしたのだった。安全装置を外して、2,3発発砲する。キィン、キィン、と銃弾は鉄の装甲に跳ね返され、ヴルトムラカンがゆっくりとメイルの方に向き直る。大きな腕を掲げ、メイルへ振り下ろした。

「きゃああああ!」

 鉄塊を思わせる腕は、メイルの身体すれすれに叩き付けられた。位置が少しずれていれば身体がぺしゃんこになっていただろう。メイルは震える両足をおさえつけるように、ブロスからヴルトムラカンを遠ざけるため、逆方向へと走った。

 ビィイ!という破裂音を立てて、ヴルトムカランの腕から古代魔術の熱線が無数に放たれる。メイルは必死に逃げたが、熱線はメイルの腕や脚をかすめる。血が噴き出した。メイルは苦痛に耐え、ヴルトムラカンを金庫の方角に向かわせないように、甲板を逃げ回った。

「あうぅ!」

 メイルの足下に熱線が集中放火される。メイルは躓いて倒れてしまった。体中の傷から血が滲んでいる。ヴルトムラカンがメイルにゆっくりと近づく。黒い影がメイルの上に伸びた。ヴルトムラカンは巨大な片腕を伸ばし、うずくまるメイルの四肢を掌で握り込んだ。

「ああああああぁッ!!」

 メイルを巨大な手で締め上げるヴルトムラカン。同時に、電流を流され、メイルの目の前は真っ白になりかける。

(ブロスさん……は、はやく、指輪を……!)

 全身を走る激痛により、メイルの脳裏にあきらめが浮かぶ。

 そのときだった。

 巨大な漆黒の槍が凄まじい速度で投擲され、メイルを拘束するヴルトムラカンの腕を引き千切った。腕ごと甲板に投げ出されるメイル。甲板に連なる吹き抜けから落ちそうになり、メイルは必死に柵に捕まる。

「オオオオオオオオオオオオオ!」

 咆哮するヴルトムラカン。黒鋼の巨人が漆黒の槍で、連続攻撃を放つ。強烈なそれは、片腕を失いショートしかけたヴルトムラカンの身体を粉砕した。ひしゃげたヴルトムラカンは、紅蓮の炎に包まれると、爆発し、砕け散った。

「あれは――!!」

 メイルの周囲で轟々と燃えさかる炎の向こうに、炎を反射して黒く輝く、黒鋼の巨人がいた。火の粉が舞う旋風のなか、光学迷彩のような半透明の翼を広げ、炎の中で仁王立ちしている。

「私を、た、助けてくれたんですか――?」

「すまない。遅くなった。これは私のライドギア・インフェルノだ」

 ブロスは右手の薬指にはめた指輪に、インフェルノをいったん収納すると、柵に捕まっているメイルを引っ張り上げた。

「無事……ではないな。怪我をさせてしまった。すまない。後で治療しよう」

 ブロスは申し訳なさそうに、ボロボロのメイルを見た。

「ライドギア……ブロスさんも、ライダーだったのですね」

 メイルは黒い指輪をはめたブロスを見て、驚いたような瞳で訊いた。

「ああ。もう乗ることはないと思っていたが、キミのような少女に身体を張らせて、私が戦わないわけにはいかないだろう。故あって親友と共にドラゴに敗れ、軍属の身だったが、私は戦士の街ラガシュのライダーだ」

 ブロスは、黒いコートのポケットから蒼い指輪を取りだし、メイルの右手の薬指にはめた。

「キミの指輪だ。そして、こちらもキミが持っていなさい」

 ブロスが渡してきたのは、ジムダルの琥珀の指輪だった。涙ぐむメイル。

「ありがとうございますブロスさん、ジムダルの指輪まで――」

「礼はいい。キミがヴルトムラカンを遠ざけてくれたおかげで、無事に指輪を取り返せたのだ。こちらこそありがとう」

 ブロスがふっと口元をゆるめて、笑ったように見えた。

 その時けたたましいアラームの音が鳴り響いた。

「金庫室に私のIDで忍び込んだのが、ヘルダーにばれたな。急ぐぞ、ここから一番近いA区画のダストシュートから脱出する」

「はい!」

 武装した兵士達のけたたましい足音が響き、隣の通路を横切っていく。ブロスとメイルはA区画を走って、ダストシュートの扉を探した。

「いました、ブロスです!! 金庫から指輪を奪って逃走中!!」

 ドラゴ将軍の副官ヘルダーが兵士達の先頭におり、兵士は躊躇なく発砲する。ヘルダーはブロスを見るなり端正な顔を歪めて、苦言を吐いた。

「やはりおまえかブロス! 我が軍への忠誠心の低い貴様など、はなから信用していなかったがな!」

「気が合うな、お前を信用していないのは私もだヘルダー! ドラゴの腰巾着が!!」

 ブロスはそういうと、銃で背後の非常口の扉に発砲した。風圧で鉄の扉が外に吸い出されていく。ブロスは意を決したかのように一呼吸すると、メイルを腕に抱えて、空へ飛び降りる。

「撃て!! 逃がすな!!」

 真っ逆さまに夜空を落下していくブロスとメイル。すれすれで飛び交う銃弾。ブロスとメイルは視線を合わせて、同時にライドギアを召喚した。

「光より生まれ出でし竜よ 我に戦う力を 黄金の意志 スペリオールラグーン!」
「荒廃の地獄よりきたし 炎の機神 漆黒の竜騎士 インフェルノ!!」

 二人のライドギアが、まばゆい光とともに召喚される。飛空挺(シュガルラ)を追い越し、黄金の影と、漆黒の影は、お互いを追うように月下の空を疾駆した。

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